休日は、コロナウイルスの影響でイベント中止や施設も閉館のため家で過ごすことが多かった。
残念ながら、わが職場の仕事はテレワークにはなじまず、年度末で繁忙期のため3月に入ってから連日残業(働き方改革とは程遠い(悲))でストレスもたまり、気分転換をしたい衝動が日々増していた。
この3連休は彼岸のお墓参りもかねて、家族で外に出かけて気分転換の旅行企画をひそかに考えていた。といっても集団感染の種をまくことになるかもしれないため密集空間にはなるべく近づかないとなると、外であまり人と接しないことが条件。
天気予報によると晴天のため、房総半島の南端で温暖な館山市に行くことに決めた。
館山市といえば、台風19号の影響で家の屋根が飛んで、水浸しになったり、ゴルフ場の鉄塔が崩れるなど、住民に多大な被害をもたらしたことは記憶に新しい。旅行を通じて復興支援になればと思った。
今回の旅行のお題は「恋人の聖地巡りとお参り+海鮮丼」を堪能することに決定。東京から館山までは、交通渋滞のストレスを避けて高速船を利用。さらに現地の交通手段は、比較的優しいレンタサイクル(電動自転車)を利用した。
家族旅行の思い出とともに南房総半島に行こうと思っている人のの参考になれば幸いと思い、その時の旅行記を備忘録もかねて記載する。
2020年3月20日(金・祝) 晴天(強南風)
AM6:00自宅発ーAM8:00竹芝埠頭発(館山行 高速船)ーAM9:15 館山港着ーAM9:40渚の駅館山(レンタサイクル)発ーAM10:00 城山公園着(40分)ーAM11:30 阿波神社・野鳥の森着(30分)ーPM12:30漁港食堂だいぼ着(40分)ーPM1:25洲崎灯台着(25分)-PM2:10分 波左間海岸着ーPM2:30掩体壕着ーPM3:00沖ノ島着ーPM3:30渚の駅館山着ーPM4:15高速船館山港発ーPM5:30 竹芝埠頭着ーPM6:30自宅
先日の天気予報で晴れるが日本海側の低気圧の影響で南風が強いと聞き、船が出航するか心配だったが朝になると多少風も収まり、予定通りAM8:00出航。
昨夜の雨のおかげで空気が澄んで、富士山の雪化粧が船内からはっきり見えた。羽田沖では、飛行機が数分おきに離着陸している様子が分かった。房総半島(千葉県)と三浦半島(神奈川県)を結ぶ東京湾アクワラインを通過し、しばらく進むと三浦半島の浦賀(マシューペリー提督が上陸した地)あたりが、と峡湾の中でも両半島の距離がもっと近く、船からも両陸地がはっきり見渡せた。
ここを過ぎると、東京湾から抜けて、強風の影響を受けてか波が荒く、これは何かのアトラクションかと錯覚するようなジェットコースター状態がしばらく続いた。
そして、館山港(正確には、強風の影響で着岸できず近くの港)に到着。そこからバスで、5分ほど移動し渚の駅館山に到着。ここで今日のお供である予約してあった電動アシスト自転車に乗って、いざ最初の目的地である城山公園に向け出発し約10分で到着。
園内の天守閣や併設している博物館はコロナウイルスの影響で閉館。せっかく来たので天守閣まで急な登りを約10分かけて登頂。
展望台からは、館山湾が見渡せ船内で見た雪化粧した富士山が目に飛び込んできた。ここは、館山市が誇る恋人の聖地の1つで、夕日が沈み頃の景色は筆舌に尽くしがたいロマンチックな雰囲気になるそうだ。
残念ながら日帰りのため、この情景を見るのは次回のお楽しみ。桜は都心同様まだ3分咲きだった。この3連休で一気に8分咲きになるようだ。
次に国道410号線をひたすら文明の利器を併用し(アシストしてもらい)ながら、向風の爆風に負けず2度の丘越えを乗越え安房神社に到着。養老元年(717年)に現在の場所に遷座し、平和時代から安房国一之宮として格式の高い神社で産業および商売繁盛の神として崇敬を集めている。
併設されている館山野鳥の森は、林野庁の日本森林浴の森100選、千葉眺望100景にも選ばれている自然豊かな森として有名。 1974年(昭和49年)千葉県で3番目の県民の森として開園。房総半島の最南端・南房総国定公園のほぼ中央にある 22.4hの常緑広葉樹の森。
夏にはサシバやホトトギス、冬にはツグミやノスリなどの渡り鳥を観察できるほか、年間を通して野鳥に出会え、展望台からは平砂浦海岸を眼下に眺め、時には富士山や天城山・伊豆大島を望むことができる。
また、ふれあい野鳥館では、森の中の野鳥や植物を自然に近い状態で観られるジオラマや、野鳥情報コーナーなどで、散策に出かける前の学習や、観察後の復習に役立つ情報を提供し、千葉県南部の自然を自ら学習することができる。
残念ながら、強風のため散策路は通行禁止となり、千葉眺望100景を拝見できなかったが、春の訪れを感じたののか、周囲から聞こえてくる鳥の囀りが疲れた体を癒してくれた。霊験あらたかな安房神社で今日の旅の無事を祈願し、お待ちかねの昼食(海鮮丼)めがけて海岸沿いの国道257号線の通称フラワーロードを海岸からの砂の混じった爆風に負けず、途中、アロハガーデン、ファミリーパークなどの施設を横目に通りすぎひたすら走行した。
残念ながら、すでに花は枯れてしまい想像していた菜の花などの彩花は見ることができなかった。それでも、目の前にそびえる富士山と波の音に癒されながら、海鮮丼めがけて突き進んだ。
そして、やっとの思いで漁港食堂だいぼに到着。ちょうど昼時で、食堂は大混雑。待ち時間も眼下に広がる海岸と富士山に癒され、思わず何枚もシャッターを切った。その中の1枚がこれだ!!
そしてついに、念願の海鮮丼にありつけた。それがこれだ!!
おなかも満たされ、しばし海岸でくつろいでから、次の目的地である洲崎灯台に向け出発し、10分程度で灯台が見えた。
灯台までの急な階段を上ると、そこからの景色は、これまた最高~
そう、ここも恋人の聖地に認定されている。その中の1枚がこれだ!
ずっと夕日が暮れるまでここにいたい衝動にかられたが、船の出発時間が迫ってきているので先を急いだ。
海岸沿いの257号線を館山市外に向かって走っていると、番号と地域の集落名称が書かれている標識が目についた。山の何合目とおなじ感覚で、あとどのくらいで市内に到着するかの目安になった。
バッテリーの充電の残りを計算しながら、アップダウンの度にアシストの電源をオンオフした。
途中、車が数台と待っているところに立ち寄ると、大きな岩とベンチがあり休憩場所として最適な波左間海岸だった。それがこれだ!
ここでしばし潮風と波の音を聞いて疲れを癒し、体に充電してから先を急いだ。
市内に入ってまだ自転車の返却時間まで30分ほど時間があったので、観光名所である赤山地下壕(航空要塞機能を持った地下豪)に行ったが、ここもコロナウイルスの影響で閉館。職員の方にこの近くの観光スポットを聞くと、すぐ近くに掩体壕(敵の空襲から戦闘機を守るために作られた豪)を紹介された。
現地で農作業をしていたおじいさんに道を訊ねると、このあたりの歴史について20分ほど語りはじめた。
戦時中は5歳で、この辺りは16件ほど牛を飼っていて、牛乳しぼりや野菜を売って生活していたこと。1.5Km先で爆弾が落ちたこと。空襲警報の度に防空壕に逃げ、最盛期には、4家族ほどが狭い壕の中で生活していたことなど貴重な戦争体験を聞き平和学習の機会となった。
その後、渚の駅館山まで直帰する予定だったが、帰路の途中にある沖ノ島に立ち寄った。車がたくさん列をなし、観光客がひしめいていた。
高さ12.8m、面積約4.6ha周囲約1kmの陸続きの小島(陸繋島)で、南房総国定公園内にあり約8000年前の縄文海中遺跡や世界的に注目されている北限域のサンゴを育む貴重な自然が残る無人島。
子供たちは、暖かい気候もあってか海の中に入って水遊びをしてはしゃいでいた。しばし砂浜を散策しながら波の音と子供の声に癒された。
そして、PM3:30のほぼ時間通りに渚の駅館山の到着。
出発時間まで30分あったので、駅構内のさかなクンギャラリー(館山市出身・在住の館山市観光大使のさかなクンが名誉館長)を見学した。
さらに、隣接する「館山夕日桟橋」を歩き、潮風にあたりながら館山港と眼前にそびえる富士山を眺めつつ今日の行程を思い返していた。
ここも『恋人の聖地/鏡ヶ浦から富士の見えるまち 館山』(平成27年7月1日認定)のスポットになっており、夕暮れまでいたいと思った。
残念ながらPM4:15分発の高速船で帰るため、またの機会に持ち越し。
帰りの船の中は、予想通り心地よい揺れと疲れで夢の中にいざなわれた。夢の中では、爆風の向かい風に耐えて走行したサイクリングの情景や館山市の恋人の3大聖地(城山公園、洲崎灯台、館山夕日桟橋)からの情景が出てきたのは言うまでもない・・。また、無事に旅を終えられたのは、日ごろの行い?と安房神社での神頼みのおかげかな?
最期に、このブログを見てこれからの観光シーズンに館山に行く方が増え、現地の復興支援に1役立てればこれ幸い。
(参考)
★東海汽船
★城山公園
★安房神社
★ 漁港食堂だいぼ