tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

神田香織講談を聴講して

 2/8、勤務終了後の約1時間半、講談師の神田香織氏の講談を聞いた。お題は「福島の今を語る」。彼女は福島県いわき市の出身で、実家は3.11で原発による放射能被害、4.11の福島沖地震で実家が傾く被害を受けたそうだ。地元愛にあふれ、この被害をいつまでも忘れず後世に伝えることをライフワークとしている。
 もともと講談師を目指したわけでなく、最初は女優だったそうだ。高校時代に演劇部に所属し、発生だけは自信があったのが災い?女優から講談師に転身したとのこと。
 生い立ちから始まり、話は今の福島の被害者の生活や放射能被害のこと、そして1986年4月26日に起きたチェルノブイリの被害家族の現状、最後に「悲しみの母子像」に象徴される米軍ジェット機墜落事故による被害家族の苦しみを描いた講談で終えた。
 横浜の港の見える丘公園に2本のプラタナスの大木にはさまれるようにしてブロンズ像がある。愛の母子像と書かれた説明文には「昭和52年(1977)年9月27日、横浜市緑区荏田(えだ)町(現青葉区荏田北)に米軍機が墜落し、市民3人(母と幼い子二人)が亡くなった。生前に海が見たいと願っていたことから、この公園に愛の母子像の寄付をうけ設置したもの」と記されている。
 講談の最後に神田さんからの訴えとして・・ 
 幼子二人を奪われた和枝(母)さんの哀しみ、絶望、怒りが胸にせまり押しつぶされそうになりました。人は2度死ぬといいます。一度は亡くなったその日、二度目は人々の記憶から忘れられたとき・・・
この母と子の哀しい物語はけっして忘れ去られてはいけないと思い語っていきます。
  福島周辺では、まだ高濃度の放射能数値が観測されている。同じ被害を二度と繰り返さないよう、政府は国民の生活と安全を守るため安全に対して最大限の配慮を最優先に考えるべきだろう。
 
 彼女が社会は漫談のきっかけとなった作品の「はだしのゲン」の作者、中沢啓治氏への思いも語っていた。
「26年前から語っている「はだしのゲン」、私の生き方の道筋を教えてくれた作品だ。思えば窮地に陥ったとき被爆した方々の苦労を思い、何のこれしき!と「はだしのゲン」は私を叱咤激励してくれた、この作品を語り続けて私が一番力を貰った。
 
 私も小学生のころ、はだしのゲンの漫画と出会い、同世代の子どもが生まれた時代によって、家族と引き裂かれ、戦争の悲劇や原爆の恐怖を知ったきっかけとなったことを思い出した。また、兄妹愛と放射能の恐ろしさを伝える野坂昭如氏の「火垂るの墓」も私の脳裏に深く残っている。もう一度、この作品を見ようと思う。
 
日本3代話芸は、落語、浪曲、そして講談。その中でも講談は、琵琶法師が平家物語を語ったころから受け継がれてきている最も伝統がある。講談師はまだ推定80名ほどしかいないそうだ。
 
声が命の講談では、おしりと丹田(おへその下)に力を入れて、短く、高く、強く発音することだそうだ。疲れた時こそ、声を出すことで脳がリフレッシュされ明日への生きる活力源になるとのこと。たしかに、アスリートも声を出すことで活力やパワーを引き出している。
 
参考