tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

三宅島の今・・

 以前ボランティア活動について、思っていることを述べたが、阪神淡路大震災のころから、ボランティア活動が日本社会でもやっと認知されるようになってきた。
 その後の17年間でも、日本各地で地震や大雨による水害などによる自然災害が毎年のように発生している。
 緊急事態で、インフラの復興や避難所生活のサポートや安否の確認などのボランティアが必要なのは当然だが、生活が落ち着いて仮設住宅から実家に戻ってからの生活不安や心の傷(PTSDなど)のケアも大切になってくる。
 いままで、あまり隣近所のことは気にしていなかった人たちも、コミュニティーや家族の大切さを再認識するようだ。人間1人では生きていけないということを痛感した。
 先日、NHKで三宅島の今を特集している番組を見た。島民も、3000人近くに戻り噴火前の8割近くが戻ってきたりしたようだ。地域のコミュニティーも徐々に復活しており、うれしく思った。もちろん、まだ火山ガスや観光業などでのダメージは復活していない現実もあるが、村一丸となって、助け合いながら生活している様子をみて、うらやましくも感じた。
 
 ボランティアといっても、労働力の提供以外にもいろいろなかかわり方があると思う。民間のボランティア活動を長続きしていく基本は、お互いに歩み寄り利益を共有して成長していくWIN-WINの関係をどうやって築いていくかだと思う。
 三宅島で言えば、この夏に、釣りやダイビングなど観光で訪れて、島の観光事業に寄与するのもボランティア活動だと思っている。相手に迷惑を掛けず無理せず自分でもできることをしていくことが重要だ。
 
 是非この場を借りて、三宅島の魅力と今でも続く自然の猛威(火山ガスの被害)をアピールさせていただきたい。そこで、2005年にボランティア活動で行った三宅島についての日記を公開する。記事の内容は私の独断と偏見に基づいて書いているが、すこしでも三宅島のことがわかっていただければ幸いだ。こんないい加減なことでいいのかとお叱りを受けそうだが、相手に迷惑を掛けず無理せず自分でもできることをしたと思っている。
 三宅島の詳細情報は各種ホームページや市販のガイドブックなどを参照していただきたい。
 
 
【三宅島のデータ】
・東京から南南西へ180 kmに位置し、周囲32km、面積約55K㎡の円形火山島。島の中央部に「雄山」(噴火前の標高814m)がある。
・大島から70(北緯34度5分、東経139度29分)の位置にあり、伊豆諸島のほぼ中間に位置する。
・全島避難前の20001月現在で約3860人。
・産業は園芸、イモ類などの根菜農業、漁業、民宿やダイビングショップなどの観光産業、建設・土木業など。
・来島者の目的は磯釣り、バードウォッチング、ダイビング、御蔵島周辺のイルカウォッチング、帰省など。
アカコッコ(島の鳥)、額あじさい、明日葉の源流。さざえ、島アジはとても美味。
 
【島の起源】
 数千年前から既に人が住んでいたと言われており、島内のいたるところから縄文時代の土器、石器等が数多く発見され、その事実を裏付けている。
【気候】
富士火山帯南帯に属し、玄武岩からなる複式火山で、年間の平均気温17~18度で雨が多く、都心の気温と比較すると冬で3度高く、氷点下になることはほとんどない。
それでいて夏は案外涼しく、30度を超える日は少ない。これは、周囲を海に囲まれているためで、いわゆる海洋性気候の恩恵と言える。
 
【噴火】
昭和期には15年、37年、58年と噴火があり、そして、今回(平成12年夏)の噴火が起こった。約20年周期で噴火している。
・現在、島内には3種類の立入規制区域が設定されている。
①立入禁止区域
②危険区域
③高濃度地区
3地域とも二酸化硫黄濃度が高くなりやすく、条例で立ち入りは認められていないため、観光はできない。
 
【活動中味わった郷土料理】
にがだけ・・島称「にがだけ」=「根曲り竹」は、細いたけのこのこと。歯ごたえが太い竹の子とはまた違って美味しい!
都会のほうから来て島のたけのこ料理を食べた人はその歯ごたえがたまらないらしい。ピリッときいた苦味が食欲を増進させる。
 
たかべ・・スーパーで1匹500円以上する高級魚。三宅島で2回も味わえるとはラッキーとしか言いようがない。タカベ科の小型の魚で、体長20cmほどの大きさで英語名をイエローストライプと言う様に青緑色の背に一本黄色の筋のあるのが特徴。
伊豆近海が主要な産地のひとつとして有名。 塩焼きが美味しく脂があるのにさっぱりとした口当たりはうっとうしい梅雨時にぴったりの魚。
 
【三宅島のお土産】
 牛乳せんべい、海苔、明日葉サブレ、明日葉茶
 
20055月現在の島の人口統計】
1 調査期間
  2005年年5月9日から10日の2日間
2 調査方法
  村職員2名1組24班体制による各戸訪問調査
3 調査対象
  調査時点において帰島し、生活を再開している世帯(者)(2月1日以降の転入世帯(者)は除く。)
4 調査結果
  在住世帯数:1,184世帯
  在住人数:1,928人
 
【ボランティア活動プログラム】
AM7:00  起床
AM7:30  食事(弁当)
AM8:30  ミーティング
AM9:00  ラジオ体操後、作業場へ出発
AM9:30  作業開始
AM12:00 昼食(弁当)
PM1:00  作業開始
PM3:30  作業終了、後片付け
PM4:00  作業場を出発
PM5:00  帰宅後、道具を洗ってからお風呂へ
PM6:00  買い物をして帰宅
PM6:30 夕食 (弁当)、事務局からビール1本差し入れあり
PM7:00 自由時間(洗濯や報告書作り) 
PM8:00 懇親会
PM10:00 就寝準備
PM11:00 館内消灯
*ただし、滞在期間中1回は食事当番。その場合、朝・夕食準備で食事開始30分前から準備作業がある。
 
【三宅島ボランティア日記】
7月3日(日)曇り・小雨 21C
 今日は、東京都知事選挙の日。私にとっては、三宅島ボランティア活動の出発日だ。
 職場の方に配慮していただき、選挙事務従事をはずれ、竹芝集合時刻のPM9:30まで事前にボランティアに派遣された方からのアドバイスに基づいて自分で作成した持ち物リストを参考に出発準備に追われた。
 特に、耳栓、目隠し、ラジオは必需品(後に大活躍することになる・・)アドバイスされたので再度持ち物確認をした。
これから1週間、携帯電話、インターネットのない環境での生活が待っており、情報が入手しづらくなる。かえって、雑念が消え、三宅島での作業や、ボランティア仲間との生の情報交換、交流に集中できるだろう。
また、普段の生活でいかに多くの情報に踊らされているかが認識できるだろう。また、情報が正確に伝わることが大切なことかもわかると思う。
 日常生活ではお会いすることがない同じ志を持った人たちと寝食を共にし、情報交換できるまたとない機会なので積極的に語り合いたい。
 また、このボランティア活動を通じて活動終了後も情報交換していけたらいいなーと思う。
 健康(自己管理)に留意して一回り成長して元気な姿で帰ってきたい。
 自宅から電車を乗り継いで竹芝桟橋PM930に到着。メンバーは×× 区 職労3人、NTTコミュニケーションズ、○○ 区 職労の計5人。他にも×× 区 職労の方が見送りにきていただいた。
 すでにこれから一緒に活動するメンバーも待っており、みんなで記念写真を撮っていざ乗船。船(カメリア丸)は小雨模様の中定刻どおり出発。
 まずは船内の2等和室(雑魚部屋)で各自寝場所を確認し、ビールを飲んでこれからの健闘を誓い合った。アルコールとともに心地よい船の揺れにも助けられ、いつの間にか就寝。
 
7月4日(月)小雨 27C
 睡眠をとったとはいえ、慣れない環境だったので熟睡できなかった。船はAM5:00に船を着岸させるため向かい風になる島の西に位置する阿古地区の錆ケ浜港に到着。
村営バスもすでに我々(?)の到着を待っており、すぐに出発。約30分三宅島一週道路をひたすら北上。伊ヶ谷地区を通過し、これからお世話になる伊豆地区にある宿泊先の伊豆老人会館前に到着。
仮眠場所はすでに用意されていたので、そのままダイブし、束の間の休息・・といいたいところだが、洗礼が待っていた。
 OBから話は聞いていたが、大変だぞといっていたいびき地獄。もともと繊細な(?)心を持っているのか、気になって寝られない。耳栓も目隠しもラジオ(電波の調子が悪くほとんど入らない)もいびきの前には効果なし。
 いびきと格闘している間に、起床時刻のAM7:00。完全に寝不足のまま、朝食をとり午前の作業場Sさん宅へ向かった。
作業内容は、苗場作り。庭の萱刈と伐根をして作物を植えられる土地にする。こんな体調で力仕事ができるか心配したが、いざ作業が始まるとそんな弱音も言っていられず、段取りよくみんなで協力して午前中だけで地域センターの敷地ぐらいの萱をすべて刈り終えた。
 今日のリーダー(N製鋼の組合の執行部)は、普段から労務管理に精通していたおかげで、仕事20分、休憩10分のサイクルで時間管理しながら作業に従事した結果、無理なく効率よく作業ができた。
 入島初日のボランティアは体もまだ慣れていないので半日(午前中)で活動終了。
 チーム全員とSさんを囲んでお庭でお弁当の昼食。Sさんが漬物や飲み物を差し入れしてくださり、食事のはしが進んだ。
 PM1時、事務局のお迎えの車で宿舎に帰り、これからの生活や三宅島の歴史、ボランティアセンターの歩みなどレクチャーを受けた。帰島が始まった2月から今までに約1000人のボランティアがこのセンターで寝泊りして活動してきたことを知った。
 ロビーの壁に11人充実感に満ちた笑顔のボランティアの写真が張り出されていた。彼らの意志をついで我々もできる範囲で微力ながらも一生懸命復興のためのお役に立てるよう努力していこうと再認識した。
  汗びっしょりになった服を洗濯してから、他のメンバーが帰ってくるPM4時まで仮眠。作業で体が疲れたおかげでぐっすり眠れた。
  1日の作業を終えたメンバーと合流して車で風呂場(宿舎から車で10分ほどの伊豆避難施設内にある)に行き、帰りに買出しをしてから宿舎に帰宅。洗濯を終えて、ロビーで談笑していると食事の用意ができた。
  作業で汗水流した体をきれいさっぱり流した風呂上りの事務局からの差し入れのビール一杯でこの世の至福を味わった。
  夜、我々5人の歓迎会を開いていただき、これから一緒にチームを組んで作業するメンバーと親交を温めた。規則どおり夜11時消灯・・。
 
7月5日に続く