tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

三宅島の今(その2)

三宅島の今・・からの続き・・
 
7月5日(火)曇り 22C
 昨夜は、仕事疲れとお酒の力も加わって、いびきにも負けず熟睡できた。
 やっと本調子で今日から作業に取り掛かれる。AM6時起床。今日からプログラムどおりの生活を送ることになる。
 AM7:30、時間通り朝食(弁当)。食後、我々一人ずつ自己紹介した。今日で最後の東京都水道局の6人は、作業メンバーからはずれ、我々5人が作業の主力(?)メンバーとして加わった。
 AM8:30、ミーティングで2班に分かれ、私は3人グループのB班に所属。今日の作業現場である神着地区のAさん宅の仕事内容について説明を受けた。昨日の力仕事とはちょっと違い、窓ガラス拭きと室内の荷物の整理、掃除が主な作業。
 外に出てN製鋼の方のリードでラジオ体操をおこなった。ここで彼の座右の銘ご安全に!の号令の元、みんなで復唱し作業準備に取り掛かった。
 AM9:00我々3人は現地に向けて出発。一見簡単そうに見える窓拭きだが、4年半放りっぱなしの火山灰がこびりついた窓やサンの汚れはなかなか落ちない。何度も放水、たわしやクリンビューを使っての水拭き、新聞紙を使ってのガラス磨きをした。
しかし、一瞬きれいになったと安心し次の窓に取り掛かっていると、じわじわと窓が白みがかってくる。どうも積もり積もった火山灰の粒子が窓の細かい隙間に入り込み、我々の手法では細かいところまで落としきれないようだ。
 今日もタイムキーパーを任され、ばてない程度に時間管理し休憩をとりながら作業した。昼食時には気を利かせていただき、三宅島の郷土料理「にがたけ」をご馳走になった。三宅島の庭に生えている細い竹の子で、5月下旬から7月上旬が食べごろとのこと。ゆでて甘辛しょうゆ漬けにしたものがとてもおいしかった。たいした成果が上がらないにもかかわらずこのようなご馳走を頂き申し訳ない気持ちになったが、普段の食生活は弁当ばかりだったので、俄然、午後の作業へのパワーが湧いてきた。
 午後は一階の残りの窓拭きと汚れ落とし、2階の窓拭きと部屋の布団や衣類の整理を行った。時間が押してしまい、見回りに来た事務局の方にも手伝っていただきながら、PM400全作業を終了。
 窓を磨いても磨いてもなかなか汚れが落ちない精神的にきつい作業だったが、最後まで集中してチームワークよく作業ができた。
 昨日と同様、宿舎に帰って洗濯機をまわしてからお風呂で今日の労働の汗を流した。
 夕食後、628日に行われた三宅島ボランティア活動中間報告会のときに使用した三宅島火山噴火から全島避難までの様子が撮影されたビデオ上映(1時間)を行った。
 リアルな映像に恐怖を感じた。そのとき現場に居合わせた島民の方々はものすごい不安・恐怖感を抱いただろうことは容易に想像できた。いや我々の想像を超える恐怖感だっただろう。
精神的に今でもその当時の記憶が鮮明に残り、傷を負っている方が4年半たった今でもたくさんいるとのこと。特に一人暮らし高齢者の方々の不安感を我々ボランティアとの交流を通じて一人でも和らげることも大きな活動だと認識した。
 今日からメンバーも代わり、また新たな仲間で夕食と夜の懇親会(飲み会)を行った。
 規則どおり夜11時消灯。
 
7月6日(水)小雨  29C
 今朝、男性2人、女性1人が新メンバーとして合流。昨夜は疲れていたので熟睡できた。 
今日は食事当番(31組で朝・夕食の準備をする)のため、AM7:00から準備開始。前日の引継ぎどおり、段取りよく3人で協力して30分で準備終了。
8:30のミーティングで今日も違う引越し作業とお庭の手入れとなった。昨日とは違う少数精鋭(?)3人で、阿古地区のFさん宅に向かった。
小雨模様の中、午前中は荷物が来るまでFさんの支持のもと、部屋の中の荷物の移動をおこなった。荷物ともどもFさん自身も今朝我が家に帰ってきたばかり。
疲れた様子も見せず、一緒になって荷物運びをしていただいた。
 AM11:00、やっと待ちに待ったコンテナが到着。約50個の荷物を一つ一つ流れ作業で家まで運んだ。
Fさんが、「東京でおおかたの荷物を処分するつもりでいたが、避難生活のときに同じアパートの人からもらったジャンパーをどうしても捨てることができない。また家内(避難先でお亡くなりになれた)の遺品である華道の道具とか・・。結局ほとんど捨てられなかったよ」とおしゃっていたのが印象的だった。
 荷物が家に運び終わったころちょうどお昼。他の2人のメンバーとは今まであまりお話しする機会がなかったが、この時間に会話が弾んだ。
PM1時、作業開始といいたいところだが、雨がひどくなってきたので、予定していた庭の伐採作業を休止し、Fさんを囲ってお話を伺うことにした。
Fさんは、三宅村役場のOB58年の噴火の時、災害対策副部長をなされていた。噴火前に家を建てられたが、噴火で家を失い、今回の噴火で非難するときもしばらくの間泊り込みで三宅島で災害復旧のために残ったそうだ。
 役場のOBの方だったので村の歴史に詳しく、江戸時代は静岡県(駿府)韮山奉行所管轄の流刑地で賭博や覗きなど軽犯罪の、八丈島政治犯流刑地だったことや、村の5地区(阿古、坪田、伊豆、神着、伊ヶ谷)のなかでも神着はお役所があったところで高貴なイメージがあること、明日葉栽培は三宅から始まったことなどガイドブックにもない貴重なお話を伺うことができた。
ちなみに、社会党の浅沼書記長は神着(かみつき)の出身で、いまでもこの地区には浅沼という苗字が多い。
 雨が小降りになってきたので庭の伐採を開始した。枯れた庭木や、笹を全部刈り取り石段のしたの雑草をきれいに取るとお庭はきれいさっぱりとなった。
避難前は、きっときれいな花がたくさん咲いていたのだろう。今度私が三宅島に来るころには、お庭が色とりどりのきれいな花になっていてほしい。
 作業終了後、いつものとおり宿舎に戻ってお風呂から帰ってきたが、食事当番のためくつろぐ時間がなかった。いままで、机の配置を縦長にしていたので両端の人は会話ができずコミュニケーションが取りづらかったので、机を会議形式に四角で囲んでみた。
するとこのアイデアがずばり的中。みんなからお互いの顔がはっきり見えて、距離も縮まったので会話が弾むと大好評だった。
 昨日同様、夜は、新人3人の歓迎とリーダー役で「ご安全に」を我々に叩き込んだN製鋼の方の送別会と称した飲み会が始まり夜遅く(11時消灯)まで盛り上がった。
 
7月7日(木)晴れ  22C
 今朝は体調絶不調。というのも、寝るのが遅れて、いびき地獄にあってしまった。港見えても繊細(?)な性格が災いして、一度になるとなかなか寝付けない。
耳栓もほとんど役立たず、結局朝まで寝られなかった。そのつけが今日もろに現れた。といっても誰のせいでもなくいびきは自然現象なのでしかたない。しっかり対策を取らなかった自分が悪い。
朝から食欲がなく、冗談にも反応できない。しかし、チームでの仕事なのでリタイアするわけにも行かず、できるところまでがんばるつもりで今日の作業場である阿古地区のMさん宅へ向かった。
前日も違う班が作業をしていたので、その続き。リーダーから「昨日きった竹を踏まないように細心の注意を払え」とお達しがあった。
今日は6人チームで久しぶりの苗場作り。萱と竹はほとんど刈られていたので、ひたすら伐根。最初は一人で大きな根と格闘していたが、効率が悪いので、途中から3人一組で一つ一つ根を抜いていった。スコップやつるはしなど総動員し、コツも覚えてきたのか、作業ペースが上がった。
 日差しがだんだん強くなってきたので、20分作業して15分休憩のサイクルを守って水分を多く取るようにした。正直、体調不良で午前中はかなりきつかったが、チームのみんなに助けられ何とかもった。
 お昼の休憩には、漬物やにがたけなど差し入れしていただき体力が回復。
ランナーズハイの状態になり、午後はとても作業がはかどった。庭に生えていた笹を見て誰かが、この笹を切って、宿舎の玄関に飾って短冊をかけようという提案があった。
そういえば今日は七夕。すっかり忘れていたが、天の川も見えそうなのでお願いごとがかなうかもしれない。短冊にお願い事を書いて笹につるした。一生懸命仕事したからボランティア仲間は願いがかなうはず!
 夜は、明日帰るメンバー2人の送迎会。4日間一緒に仕事した仲間なので別れが名残惜しい。消灯時間近くまで話に花が咲いた。