tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

三宅島の今(その3)

 三宅島の今(その2)からの続き・・
 
7月8日(金)晴れ  27C
 今日も今まで一緒に汗水流して活動してきた仲間2名が帰る。
 せっかく仲良くなれたのに別れなければならないのは寂しい。が、出会いがあれば別れがあるのは世の常。また内地(三宅では都心のことをこういう)で再会できるだろう。
 今日、新たに都の水道局のメンバー2名が加わった。感傷に浸っている間もなく、今日もボランティア活動が待っている。
 気がつくとあっという間だったが、今日でボランティア活動も最後になってしまった。
 曇りがちな日が多かったので今まであまり日に焼けなかったが、ここに来て日差しの照り返しが強い。私は肌が白くすぐ真っ赤になってしまうので、長袖・ジャージの完全武装で仕事場へ行った。
 ボランティアは、ガスマスク、赤帽子、名札三種の神器を持参するのだが、今までガスマスクを使う機会はなかった。
 ところが最終日になって、火山ガスの高濃度地区に近い坪田地区のお宅だった。
 来る時から多少硫黄くさい匂いがしたが、作業をしているうちに咳がでるようになった。初めてガスマスクのお世話になった。島民が4年半故郷に帰れなかったのはこの高濃度火山ガスのため。こういう体験をしないと内地に帰ってきてから、「ガスマスクなんていらないよ」などと軽はずみな発言をしかねない・・。
 このお宅も避難前はキュウリや茄子など育てていたそうだ。今は4年半手をつけていないので、草木が伸び放題の状態になっていた。
 まずは、精鋭(?)メンバー6人で手分けしてひたすら釜で草を刈った。特に明日葉はそこかしこに生えており気持ちよくスパッと切れた。
 すると、硫黄のにおいがしたかと思ったら、咳き込むものが数名でた。すぐに作業を中止しガスマスクをつけて家の中に避難。しばらくすると、症状が落ち着いた。
 高濃度ガスの警報が解除され、作業再開。午前中はあまり作業が進まなかった。
 お昼は、家主を囲んで築120年の歴史のある家の中で食べた。月日がたっても、災害にも負けず家が昔のまま存在しているのは、建築資材を炭焼きしていて湿気や小動物に負けない耐久性を兼ね備えているからだと教えてくれた。
 しかし、お年寄りの一人暮らしなので帰島してからも外を出歩くことがなく、つい見たくもないTVばかりを見てしまうと嘆いていた。
 苗場ができれば、またお庭で作物を植え、植物の成長を見る楽しみも増えるだろう。そんな話を聞き、今日が最後なので俄然なんとか植物を植えられる状態にしたいとボランティア一同やる気がみなぎった。
 午後は、少しペースを速めながら黙々と作業に取り組んだ。
 皆の願いが通じたのか、午後は警報も発令されず中断なく仕事ができた。
 そして、ついにほぼきれいな苗場ができた。庭を見たときの家主の驚きと喜びに満ちた表情がとても印象的だった。ボランティア精神である「人の笑顔が自分の喜び」を実感した。
 今日の夜は、私を含め明日帰る9人(残るのが3人)のために送迎会を行った。明日仕事がないので、今日は心置きなく美酒を味わった。慣れ親しんだ伊豆老人会館の滞在も明日で終わり。長いようであっという間の一週間だった。
 
7月9日(土)曇り・小雨  25C
 昨日はお酒におぼれたが、熟睡できなかった。布団の中で今までのことを思い返していた。普段の生活ではめったに行わない肉体労働を何日も連続して行ったが、怪我もなく無事に任務を遂行できたことに自分で自分をほめてやりたい。
もちろんボランティア仲間に恵まれたからここまで乗り切れたのだと思う。みんなに感謝感謝・・。三宅島で一生記憶に残る体験をできたことをうれしく思う。
 ここでの体験を多くの人に伝えるとともに、体験を通じて学んだことを今後の生活にいかしていきたい。
 今日は内地に帰る日なので作業はなく、残り組みの3人を見送った後、宿舎の掃除を行った。9人がかりなので、いままで培ったチームワークと段取りのよさで時間通り掃除を終えることができた。
 AM10:00、島内一周視察(観光ではない!)にボランティアガイドの方の先導の下、車2台で出発。
 特に死んだ枯れ木の山と形容するのがぴったりな高濃度地区の風景は、脳裏に強く焼きついた。この目でしっかり三宅島の現状を見ておきたいと、車内からじっと風景を眺めていた。
また、ボランティア活動に訪れたお宅の前を通過した時、「今度三宅島に来る時は、庭がどうなっているのかこの目で確かめたい」と思った。
 島内の灯台や昭和58年の噴火で被害を受けた小学校などを見学し、最後に恒例の免税店といわんばかりのお店での買いもので視察を締めくくった。お店で三宅名菓「牛乳せんべい」と海苔を購入。お土産を買って一安心。
そして、PM1時、仲間と寝食をともにした伊豆老人会館を村営バスで出発し、三池港にPM1:40分に到着。
 船の着岸が遅れたため30分遅れのPM3時に出港。残念ながら曇り空のため雄山の雄大な姿は見られなかったが、ボランティア仲間同士、竹芝到着まで船の甲板でお酒を飲みながら今までの活動の話などで盛り上がった。
 6時間があっという間に過ぎ去り、竹芝にPM9:00到着。久しぶりに見る東京の夜景は雨でかすんでいたがきれいだった・・。
 
7月10日(日)曇り 32C
 家に帰ってきて気が緩んだのか、これまでの1週間分の疲れがどっと出てAM1:00就寝。ふと目が覚めるとすでにAM11:0010時間ぐっすり眠れたのは、我が家のベットで邪魔がはいらない環境と蓄積された疲労のおかげだろう。
1週間ぶりに我が家で昼食をとりながら今までのことに報告した。我が家(故郷)は本当にいいものだなーと実感した。今も住み慣れない土地で、窮屈な暮らしを強いられている島民が半数近くいる。一日も早く、三宅島の人々が我が家に帰って噴火前の生活に戻れるよう祈っている。
 午後もまだ完全に疲れが取れていないのか睡魔が襲い2度寝した。夕食をとってから、詳細を忘れないうちに報告書を作ろうと思いパソコンに向かって記憶をたどりながら約4時間部屋で缶詰になって作成した。午後12時終了。
頭の中も整理され今夜の夢の中で詳細に三宅島の出来事が再現されるだろう・・。
 
【ボランティア活動での成果】
1.帰島支援に行ったボランティアが、島民から元気をもらって帰ってきた。手話表現のボランティアを意味する、お互いに歩み寄ってともに成長することを実感した。
2.参加者は老若男女世代を問わず、情報交換など貴重な時間を過ごせた。
. 公務員以外の民間団体や生協などとも交流できた。