tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

失意の留年編

【留年編】

 人生最大のショックが抜けやらぬうちに、月日は流れ、新学期を向かえた。
 2つの授業のみ単位を取ればいいので、時間を持て余したが、ゼミには顔を出して就職の相談をした。
 この厳しい就職戦線の中では留年はかなり厳しいので、公務員試験を受けてみたらどうだと進められた。
 といってもいままで勉強していなかったので、今年の受験は無理。また来年合格する保証もない。なかなか踏ん切りがつかなくて悩んでいたが、5月のゴールデンウィーク明けのゼミの帰りにふと教室を覗くと、ある説明会を開催していた。何だろうと中に足を踏み入れると、なんとそこは外交官試験受験者のための説明会だった。
 こういう試験もあるのかとこのとき初めて知ったが、参加者たちは、みなやる気満々。なかには他大の学生もいた。

 席についたら最後、有無を言わさず、自動的に勉強会の仲間に入れられていた。わが班は男性4人、女性2人の6人で、全員同じ大学。といっても、留年は私1人。その場で、お互いに自己紹介し、OB・OGが中心となって勉強会の進め方を説明した。
 早速、それぞれの科目(憲法、経済学、国際法、外交史)、各科目30程度の項目別に担当者を割り振り、担当者がレジュメを作成して発表するという方式で勉強会が進んだ。
 そのため、自分が担当する日は絶対に休めない。6月から、週2回のペースで、まずは憲法から始めた。
 各教科、割り当てられた項目は否が応でも勉強するので、とてもいいやり方だと思った。結局、就職活動はせず、来年の外交官試験にかけることになった。
 約3ヶ月で1科目が終了し、最初の憲法が終わった10月には、完全に班の一員として溶け込んでいた。
 得意科目だった経済学だけは、率先して勉強会のリーダー格になったが、後の科目は、ひたすら復習。
 正月休みも勉強した。こんなことは、浪人時代以来だ。もっと学生時代に勉強しておけばよかったと後悔したがあとの祭り・・。
 苦しい時だったが、仲間とひとつの目標に向かって努力していたので充実感に満たされていた。
 試験日は6月第一週の日曜日。しかも受験者600人程度のうち合格者は毎年30名程度。少数精鋭の大激戦。
 第1志望は譲れない(S予備校のチャッチフレーズ)をモットーにしてきたが、さすがにこの競争率だと後がないだけに不安が募る。
 そこで、とりあえず合格予定人数の多い一般の公務員試験を併願することにした。といっても、外交官試験に必要な科目しか勉強していないので、かなり不安だった。

 勉強会も無事すべての科目が終了し、3月で解散、4月からは各自で勉強とあいなった。
 
 そういう状況ではあったが、4月に来年1月から3月まで実施する総務庁総務省)主催の「世界青年の船」事業に応募した。この事業は、日本と世界各国の青年が、昭和42(1967年)に「青年の船」として開始された事業を改組し,昭和63年(1988年)から実施されている内閣府主催の国際交流プログラム。
 東航路(北・中・南米)と西航路 (南西アジア,中近東,アフリカ,ヨーロッパ)を隔年で,日本を含む世界十数ヵ国の青年がにっぽん丸で航海している。
 船内ではセミナー・ディスカッション・委員会活動クラブ活動等の公式プログラムを行う場であるとともに、個人が様々な活動を自主的に行っている。5月には埼玉県の面接および総務庁の試験(筆記、英会話、面接)に望み合格。
 久しぶりの合格体験だった。この事業は、世の中不景気にもかかわらず、参加費30万円ほどで、70日間にわたり13ヶ国の青年と船で共同生活をし、東京(晴海)、シンガポールスリランカ南アフリカタンザニア、UAE、シンガポール、東京(晴海)を巡る地球半周の船旅。こんな価格で、世界半周の船旅にいけるのは夢のようだが、現実となった。

 そして6月初旬、ついに運命の外務1種試験の日がきた。
直前まで、追い込み学習をしたが、やはり難関の試験だけあって、手ごわかった。手ごたえはそこそこあったが、なにせ小数激戦で競争率も高い(受験者600人中、最終合格者30人程度)のでどうなるかは神のみぞ知るという心境だった。

そして、併願した公務員試験は気楽な気持ちで受験した。
これがよかったのか、また試験問題も素直なものが多く、専門試験は勉強会で記述式の練習をしていたのでかなりの手ごたえを感じた。

 7月に1次試験の合格発表があり、天国と地獄を味わった。浪人時代と同じく第1志望は譲ってしまったが、救う神あり。一般公務員試験は1次合格。併願しておいて本当に良かった。といってもまだ2次試験(面接)が残っていたので喜ぶのは早かった。

 8月上旬の2次試験まで少し時間があったので、就職課に行ってどういう仕事をするのか調べた。OBの体験記を読んでいたら、「OB訪問大歓迎!」とあったので、藁をもすがる思いで訪ねた。なにせ、まったく下調べをしていなかったので・・。
 さすが訪問大歓迎と書くだけあって、志望理由や入庁してからの仕事のこと、人間関係、社会人と学生の違いなどその方の持論をたっぷりお伺いすることができた。大いに勇気づけられ、なんとなくどんな仕事なのか理解できた。
 面接では、マニュアル本の答えを暗記するのではなくありのままの自分を出そうと心に決めた。

 そして、2次試験本番。こちらが想定していたほど意地悪な質問もなく拍子抜けした。もう何度となく答えてきた志望動機(これは作ってしまった・・)に始まり、学生時代どんなことをしてきましたか等を聞かれた。特に学生時代の活動については、自信を持って答えることができた。自然な受け答えが功を奏したのか、かなり好感触。

 そして、せみの声が耳に大きく響く8月も終わろうとする頃、念願の合格通知を手にした。このときは本当にうれしかった。

 8月後半、「世界青年の船」参加者の合宿(5泊6日)に参加した。どんな人と共同生活をするのか期待と不安の中、参加者同士が初めて顔を合わせた。想像どおり、バイタリティーあふれる行動派で特に女性は帰国子女が多かった。

 わが班(船上生活では班単位で行動することが多い)のメンバーは、男性陣が沖縄のイケメン税関職員、福島弁を操る大学生、筆者、女性陣が、香川県の大学生、石川県の大学生、東京のナース、お嬢様大学生、外国語大学生の計8名。
 第一印象は、どのメンバーも個性豊かでこの先面白くなりそうだな・・と思った。と同時に、こんなにキャラの濃いメンバーや帰国子女たちの中でうまくやっていけるのかと漠然と思っていた。
 しかし、班長をおおせつかってからは、そんな悠長なことは言っていられなかった。班員の住所は日本各地にとんでおり、連絡をするにも携帯電話、メールが普及していない時代。
 乗船までに決めなければいけないことがたくさんあったが、皆の協力で何とか乗り越えることができた。

 9月からは、就職も決まり心に余裕ができたので、その当時最先端業界のPHSの会社で週4日電話オペレータのアルバイトをした。このときのお客さんとの交渉術等の体験が、その後の就職でもおおいにいかされることになるとはこのとき思いもしなかった。
 アルバイトの傍ら、「世界青年の船」参加国について調べたり、NHKの語学テキストやラジオ放送を中心に、英語のヒヤリング力を高める学習をした。
月日がたつのも早く、あっという間に年が明けた。
 初詣は地元の神社で、無事就職が決まったことのお礼と世界青年の船の航海の無事を祈願した。

●世界青年の船編
http://blogs.yahoo.co.jp/tomohappiest/51665136.html