tomohappiestの日々是雑感

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百人一首のすすめ

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昨日は、桃の節句だった。季節の行事について、その由来をわかっているようでわからないので調べてみた。
 すると、ほとんどの行事が、中国からの伝来(七夕、端午の節句など)であったり、身のけがれを祓うなど平安貴族の間で慣習化されていたこととに由来するようだ。
 歴史を知ると、なぜこの行事を祝っているのかがわかる。例えば、バレンタインデーにチョコレートを送る習慣は、チョコレート会社の策略(商魂)で始まったのだが、知らないと全世界で同じことが行われているのではと勘違いすることもある。ちなみに韓国では、バラの花をプレゼントするなど、お国柄により違う。

 日本古来の風習や文化は、平安時代を起源とするものが多い。
 おそらく、貴族文化が栄えた頃は、戦争もなく優雅な時代で、遊び?に興じる余裕があったのかもしれない。
  恋愛に関しても、携帯電話がない時代で、和歌(ラブレター)を中心に積極的に行われていた。ただし、今と違い、男性が女性の家へ通うかよい婚。しかも、アラブ世界のように、女性は人前で顔を公にしなかったので、人目を避けて夜に行われていた。
 
 今で言えばアナログ的な生活だったが、通い婚のため、特に女性は、会いたいときにすぐに会えないもどかしさで、悲しみ、嫉妬、思いやりの心などが芽生え、和歌にこめられている。
 そんな気持ちがよく現れているものの中に、正月などにカルタゲームとして遊んだこともあるであろう「百人一首」があり、その一端を知ることができる。
 
 百人一首は、鎌倉時代、京都の小倉山に住んでいた歌人藤原定家が、百人の最も代表的な和歌を一首ずつ選んだもので、天智天皇から順徳院までの、約600年間の代表的な歌人の秀歌が、年代順に配列されている。それらの百首は、すべて「古今集」、「新古今集」など十の勅撰和歌集から選ばれたもので、原歌は「万葉集」のものもある。

 私も、高校時代、暗記させられたことがあったが、意味まではよくわからなかった。そこで、「親子で読む百人一首(齋藤 孝著)」を読んでみた。
 
 すると、百首のうち、恋の歌が四十三首もあった。また、季節の移り変わりや情景を詠んだ歌も多かった。秋の歌が十六首で一番多いのは、やはり、古都である奈良、京都が、紅葉の名所ということに関係するのかもしれない。

 古都といえば、今年は、平城京が710年に奈良の都におかれてから(歴史の時間に年号をなんと大きな・・、納豆ネバネバで覚えた人も多いはず)から数え1300年の記念すべき年。
 その間、首都は、京都、鎌倉、江戸(東京)へと貴族社会から武家社会そして、開国後の近代社会への移り変わりとともに変遷してきた。
 特に奈良、京都は、貴族中心の社会で、王朝文化などが花開いた時代である。
 おそらく戦いがなかった平和な時代だったから、自然の変化や恋愛などに興味の先が向かったのだろう。
 平安時代の宮中などの貴族社会の様子を知るには、古典を読むことをお勧めする。といっても、ほとんどの人は(私も含めて)、アレルギー反応を示すだろう。おそらく、中学や高校時代に、古文は習っているはずだが、ほとんどの授業は、現代語訳や文法の暗記に終始して終わってしまっているからだろう。(もちろん、すばらしい授業を受けた方もいると思うが・・)
 
 私は、予備校時代に、高橋いずみ先生から古典の面白さを学んだ。
 その時代の風俗習慣を知っていれば、おのずと理解が深まる。
1千年以上昔の話であっても、恋愛はするし、人はいつかは死ぬ。ただその、考え方の主流は、時代背景や風俗習慣によって異なる。
 古典の主流である平安時代は、仏教の思想や通い婚が支配していた。
 古典の鍵は、女性、ラブストーリー、政略結婚などによる権力争い、出家など社会的な死がキーワードとなる。
 詳しくは、氏の著書「ハートで古文を読む方法」やその当時の恋愛に興味のある方は「恋のバイブル和泉式部日記」を参照していただきたい。
 ちなみに、先生の名前の由来も、たしか名うてのプレイガールの和泉(いずみ)式部からといっていたような・・。
 ちなみに、百人一首出の彼女の歌56番は・・
 あらざらむ この世よのほかの 思おもひ出でに  今いまひとたびの
 あふこともがな

(現代語訳)
私はきっともうすぐ死んでしまって、この世にいなくなるでしょう。ですから、私があの世にいった後で、この世に生きていたときの思い出にできるように、せめてもう一度あなたにお会いしたいのです。
 
桃の節句から、女性つながりで、百人一首、古典へと飛躍しすぎたが、これも何かの縁だと思って、是非、百人一首の世界を堪能していただけたらと思う。 

(参考)
●ひなまつりの歴史
 起原は大変古く平安時代に遡ぼる。
 昔の日本には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、当時この行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事だった。その中の一つ「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となった。

  平安時代、上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願った。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆく。
 
 室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになる。その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと受け継がれ、今の雛祭りの原型となっていった。一般庶民にも風習が広がり、女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、庶民の間にも定着していった。


●日本の五節句とは 
 節句はもとは「節供」と書き、江戸時代は年に5日が公式に法制化された式日(現在の祝日みたいなもの)でした。この5日を「五節供」と言い、現在も重要な年中行事となっている。

 人日(じんじつ)/陰暦正月七日「七草がゆ
 上巳(じょうし)/陰暦3月3日「桃の節句
 端午(たんご)/陰暦5月5日「端午の節句
 七夕(たなばた)/陰暦7月7日「七夕祭り」
 重陽(ちょうよう) /陰暦9月9日「菊の節句
*9月9日の重陽節句はなくなったが、他のお節句は現代まで伝わる行事

(暦のページ)
http://koyomi8.com/

百人一首とは
 鎌倉時代、京都の小倉山に住んでいた歌人藤原定家が、百人の人の最も代表的な和歌を一首ずつ選んだもの。
 天智天皇から順徳院までの、約600 年間の代表的な歌人の秀歌が、年代順に配列されている。それらの百首は、すべて「古今集」 ・「新古今集」など十の勅撰和歌集から選ばれ、その原歌は「万葉集」に由来するものもある。

百人一首の歴史
 平安時代の「貝合わせ」が、かるたのルーツ。二枚貝をふたつに分けて片方をさがすゲーム。やがて、貝に歌や絵を書いて遊ぶようになる。
 また、百人一首が、「かるた」として遊び始められたのは、戦国時代で、はじめは、宮中とか諸大名の大奥等で行われ、それが年間行事となった。
 江戸時代の元禄のころから一般庶民の間にも広がり、正月の行事として各家庭でも行われるようになったのは、江戸末期の安政のころからだといわれている。

(小倉☆百人一首について)
http://contest2.thinkquest.jp/tqj2003/60413/index.html