tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

かわいい子には旅させよ(旅のすすめ)

本を読むことの意味を書いたとき、私の信条は3つあると言った。

1.本を読むこと 2.旅をすること 3.人の話を聞くこと

 これら3つに共通することは、自分の五感をいかして創造(想像)力、発見力、情報収集(分析)力、問題解決力、コミュニケーション力などを自然と鍛えられること。
  ビジネスの社会でもコミュニケーション力や創造力は必要不可欠な能力だろう。

 2.旅をすることは、私の人生の生きがいの部分だが、残念ながら時間やお金が必要であり、特に時間ばかりは、なかなか確保できないのが悩みで、1週間休みをとって遠出となると仕事の調整など壁がはだかり現実的になかなか難しく、行動範囲が限られると述べた。

 たしかに、社会人になると仕事が中心の生活になりがちで、多くの時間を休暇にさけない。物理的に致し方ない。
 しかし、学生時代や定年後は、ある程度まとまった時間を旅行に当てることも可能な方も多いだろう。
 「学生や定年後は、時間はあるけどお金がない」・・との声も小耳に挟むが、見聞を広め、コミュニケーションを図り深めることは、必ず将来に役立つと思う。
 
 私は、学生時代に「世界青年の船」に参加して、宗教や価値観の違いはあるにしても、お互い人間同士、理解はできることや日本の良さや母国愛に気づかされた。
 
 普段、無料で飲んでいる水道水も、世界ではまれで、安全な水を飲むこは難しい。水は買うものというのが大半である。
 東京都などが率先して、ディーゼル排気ガスを規制したおかげもあって、最近では、都心の空気も以前に比べて改善されて、生活しやすくなった。
 
 しかし、周りのアジアの国の都会では、まだ排気ガスなどにより空気が汚染されており、バイクに乗っている人もマスクをしている状態である。
 
 公共機関を利用したり、町を歩いていると、どこで降りたらいいのかや道に迷うことがある。そんな時、案内標識や字幕や案内放送がないもしくはあっても、母国語のみといった国もまだ多く、旅行者泣かせである。
 しかし、日本では、都会はもちろん田舎へ行っても、これらが比較的しっかりしていて、公共機関を利用しやすい環境にある。
 
 また、今ではスイカパスモなど、公共機関やコンビニなどで電子マネーが普及していて便利になったが、2005年に訪れた香港ではすでに八達通(オクトパス)カードが普及していた。(1997に導入開始)
 
 シンガポールでの地下鉄は、各所に監視カメラ設置がされているのに加え、地下部分の駅のホームは落下防止の二重ドア方式が採用されており、安全対策には万全を期している。東京の地下鉄のように複雑ではなく、乗り換え表示もわかりやすい。
 さらに、私が訪れた1996年当時、切符を購入したら、すでに裏面が広告になっており、企業から広告収入を得て地下鉄を運営していた。
 今では、ラッピングバスや鉄道がいたるところで走っているが、そういった発想も、旅行をすることで、普段の生活では出会えないアイデアに出会え新たな発見をすることがある。新たな価値観に出会うことも旅の醍醐味の1つだろう。

 日本を訪れるアジアやアラブの外国人などに、東京のどこに行きたいか聞くと、ディズニーランドや東京タワーや皇居などは想定内ではあったが、ダントツで人気だったのは、秋葉原と100円ショップ。
 秋葉原はいわずと知れた家電販売の一大拠点。以前UAEの電気店で何度も見たが、日本製はハイクオリティーとはっきり書いてあり、【Made inn Japan】の威力を実感した。
 しかも本国で買うより、日本で買うほうが断然安い。ここが、人気があるスポットであることがよくわかる。
 もう一方の100円ショップは、東南アジアなどの旅行者やバックパッカーなどに人気がある。外国に比べ、日本の物価はかなり高い。私は、350MLのコカコーラの価格を飲食物の物価の目安にするのだが、アジア諸国の中では、日本が一番といっていいほど高い。
 しかし、そんな物価の高い日本でも、100円ショップだけは例外のようだ。種類豊富な品数、アイデア商品などが100円で買えるので懐具合をあまり気にせず、お土産などを購入できると喜んでいた。
 私も、100円ショップの大ファン。というのは、商品の購入が目的ではなく、ウインドーショッピングをしていると、いろいろなアイデアの詰まった商品を見ることができ、発想が豊かになる。考えに行き詰ったときなど、100円ショップから学ぶことも多々あった。
 アイデアに行き詰ったときなどにここを訪れると、人間の発想力は無限だと実感できること間違いなし!

 話は幕末に変わるが、坂本龍馬は、身分制度や藩のおきてが厳しい鎖国の時代に、ここにいては何もできないと思い、脱藩して尊皇攘夷で凝り固まっていた土佐勤皇党から離脱し、下関の廻船問屋から船で長崎の出島へ行った。それも、外国に勝つには、軍艦が必要だとの思いがあり、そのためには、外国商人と商売をして、武器(ピストルや大砲、軍艦)を手に入れなければならないと悟った。攘夷をしても外国にはかなわないことや倒幕しても、多くの犠牲を払い日本国内が疲弊しきった中で外国と戦っても勝ち目がないことなどを見抜いていたのだろう。
 私利私欲ではなく、国のためを思い、行動していた彼の勇気と行動力のおかげで日本が救われたといっても過言ではないだろう。

 
 実際、上海で、イギリス、フランスなど列強に支配された清国と国を守るために列強と手を組んだ満州族とそれに立ち向かう倒満滅洋を掲げた太平天国との戦いなど、列強に対抗できずに属国化しそうな国が目の前に存在していた。国力を高めるために、世界をまたにかけて武器など仕入れる商売をするために、亀山社中(後の海援隊)を経営した。ただ闇雲に攘夷(外国を倒す)といっていても当時の侍とピストルや大砲などを備えた列強の兵士では勝負にならないのは明らか。
  
 公武合体で幕府にのり蛤御門の変尊皇攘夷長州藩を朝敵として征伐した薩摩藩との犬猿の仲を薩長同盟を結ばせ、倒幕開国へと同じ方向に向けさせた行動力・交渉力に脱帽。
 また、倒幕後の日本国のあり方を見据え、船中八策を唱えた。
 大政奉還を前提に、議会開設、官制刷新、外国交際、法典制定、海軍拡張、親兵設置、貨幣整備などの八ヶ条より成る主旨書だった。1968年3月の明治天皇による五箇条の御誓文の基礎となった。

1)天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。
  政権を天皇に奉還し、政令はすべて朝廷から発すること。

2)上下議政局を設け、議員を置きて万機を参賛せしめ、万機宜しく公議に決すべき事。
  上院、下院2つの議政局を設け、万機を合議によって決定すること

3)有材の公卿・諸侯及(および)天下の人材を顧問に備へ、官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事。
  有能な人材を広く選び、官爵を賜い有名無実の官は除くこと

4)外国の交際広く公議を採り、新(あらた)に至当の規約を立つべき事。
  外国との交際を議会で決定し、新たに条約を結ぶこと

5)古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を撰定すべき事。
  古来の法律を改正し、「無窮の大典」を選定すること

6)海軍宜しく拡張すべき事。
  海軍を整備拡張すること

7)御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事。
  親兵(直轄軍)を置き帝都を守ること

8)金銀物貨宜しく外国と平均の法を設くべき事。
  金銀物価を外国と平均すること

 そして、江戸を血の海にすることなく、大政奉還(政治を朝廷に還す)することで、倒幕尊王派の暴走を止め、国内の争いを最小限にとどめた。
  


薩長同盟への布石』
 1862年、幕府の御用船千歳丸も上海に到着した。交易が表面上の理由であったが、清朝の情報収集が本当の任務だった。江戸幕府は、清朝の動乱や欧米列強のアジアでのあり方に深い関心を寄せていた。乗船していたのは、各藩の俊秀が中心で長州藩高杉晋作らがいた。長崎から中国・上海へ渡航、清が欧米の植民地となりつつある実情や、民衆反乱である太平天国の乱を見聞して7月に帰国した。
 中国で、彼は欧米の植民地政策が日本にやがて来ることに対して大きな危惧の念を新たにした。

 翌年1863年5月、長州藩関門海峡において外国船砲撃を行ったが、1864年8月、イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4カ国連合艦隊が下関を砲撃、砲台が占拠された。
 イギリスの要求を講和会議で受け入れることになったが、領土の租借」についてのみ頑として受け入れず、取り下げさせることに成功した。
 これは清国の見聞を経た高杉が「領土の期限付租借」の意味するところを深く見抜いていたからで、もしこの要求を受け入れていれば日本の歴史は大きく変わっていたであろうと伊藤は自伝で記している。

 ●旅の効用
『百聞は一見にしかず』で新たな発見が改善へとつながる。
 新たな出会いが、大きな転機となる。