新潟見附の親戚の家を表敬訪問した。そのときの様子を日記風にまとめた。桜だけでなく南魚沼の早春ならではののどかな風景に癒された様子が伝わればうれしい。
4月11日(土) 晴れ
義祖父(妻の母のお父さん)の実家を表敬?訪問するため、今日から1泊2日で新潟県(見附)に出掛けた。
群馬県の北部で桜が満開を迎えたというニュースが報道されており関越自動車道が混雑すると想定されたため、朝7:30分に家を出発。
義父(妻の父)の運転で所沢IC経由で見附中之島ICまで行った。ところが、想定外の鶴ヶ島IC近くの自動車事故の影響で、所沢から鶴ヶ島まで約1時間30分かかってしまった。
かなりの時間ロスとなったが、鶴ヶ島から先は車も順調に流れだしあっという間に桜の園の群馬県に突入。まだ桜が満開の見られたので得した気分。
さらに進むと、関越トンネルに近づき、上越の山々は真っ白に雪化粧していた。思わず何枚も車の中からシャッターを押した。
群馬県の北部で桜が満開を迎えたというニュースが報道されており関越自動車道が混雑すると想定されたため、朝7:30分に家を出発。
義父(妻の父)の運転で所沢IC経由で見附中之島ICまで行った。ところが、想定外の鶴ヶ島IC近くの自動車事故の影響で、所沢から鶴ヶ島まで約1時間30分かかってしまった。
かなりの時間ロスとなったが、鶴ヶ島から先は車も順調に流れだしあっという間に桜の園の群馬県に突入。まだ桜が満開の見られたので得した気分。
さらに進むと、関越トンネルに近づき、上越の山々は真っ白に雪化粧していた。思わず何枚も車の中からシャッターを押した。
そして、長い関越トンネルを越えるとそこは雪国だった!!
といっても天気は快晴だが、周りは残雪で銀世界。山を越えると春から晩冬に早変わり。日本も案外広い。
湯沢からしばらくはずっと銀世界だったが、中越(小谷や長岡)に入るとい、雪はなくなり早春の雰囲気が漂う田園地帯が広がった。そうここはコシヒカリで有名な穀倉地帯。
おそらく秋には一面見渡す限り稲穂が垂れる幻想的な風景が広がるのだろう。
TPPで関税率がどうなるか交渉が続いているが、日本のお米のおいしさは世界に誇れると思うので、自信をもって農家の方々が供給してもらえれば、必ず消費者は戻ってくると思う。
話がそれたが、穀倉地帯を眺めていると、真夏の風物詩の花火大会で有名な長岡市を通過し、見附中之島ICに午前10:30分に到着。
義母は6年ぶりの帰省だったそうでテンションも高くなっていた。
そして、ちょっと道に迷ったが、無事午前11時20分に義祖父の実家に到着。すでに親戚一同が集合していた。
長岡からわざわざ来ていただいたりと大歓迎を受けた。さらに、お土産に新潟名物の日本酒(八海山、雪中梅、越乃寒梅など)をいただいた。
久しぶりの再会で会話に花が咲いた後、皆で近くのレストランで昼食。メニューには新潟産コシヒカリを使用とあったので、迷わず新潟名物へぎそばと新潟産コシヒカリを使用したネギトロ丼を注文。
へぎそばとは、中越地域が発祥で、麻織物「縮」の産地であったこのあたりの縮の糸を紡ぐ際に、使われていた海藻「ふのり」が、そばのつなぎに使われるようになったのが始まり。
「へぎ」という器に盛られて、「へぎそば」という名が付いた。「へぎ」とは、幅30センチ長さ50センチ程の大きなせいろの様な器で、そばを一口程度に丸めたものをへぎに30個程もりつけ、数人でそれを囲んでたべるそうだ。へぎそばの特徴は、まずなんと言ってもそばのつなぎにふのりを使用し、つるつるしこしこした食感。
少し緑かかっていて、腰があり好吃!!
お腹も満たされたところで、車で10分ほどの所にある次の目的地、義母のおばさんがいる見附市内の介護施設を訪問。ここでも、義母はおばさんの息子さんや姉妹と昔話や近況報告などで話に花が咲いた。
時計を見るとすでに午後3:00。時間も押してきたので、寄り道せず今日の宿舎である「ホテルグリーンプラザ上越」に向かった。行きに通過した塩沢石打ICまで70.6㎞、約1時間かかった。ホテルの赤い屋根が高速道路からも見えたのでICを降りてから迷うことなく、上越国際スキー場(4月6日で営業終了)を目指した。
やっとホテルについたが、宿泊棟がいくつもあり、案内版もないためチェックインの受付にたどり着くまで紆余曲折を経たため時間ロスした。(ホテルにはわかりやすい案内板を増やすなどして改善してほしい)
午後4:30分にチェックイン。部屋は和洋室で約18㎡。2人には適当な大きさで掃除も行き届き、スキー客がメインのホテルのため温泉は広く疲れを癒すのに快適だったが、施設が古く壁がはげ落ちていたり、お風呂に行くのに階段でないといけなかったりと施設の老朽化が目立った。
食事はバイキングだったので期待はしていなかったが、思ったよりもおいしかった。今日の疲れとおなかが満たされたせいか、部屋に戻ってベットに横になるといつの間にか夢の中へいざなわれた。
といっても天気は快晴だが、周りは残雪で銀世界。山を越えると春から晩冬に早変わり。日本も案外広い。
湯沢からしばらくはずっと銀世界だったが、中越(小谷や長岡)に入るとい、雪はなくなり早春の雰囲気が漂う田園地帯が広がった。そうここはコシヒカリで有名な穀倉地帯。
おそらく秋には一面見渡す限り稲穂が垂れる幻想的な風景が広がるのだろう。
TPPで関税率がどうなるか交渉が続いているが、日本のお米のおいしさは世界に誇れると思うので、自信をもって農家の方々が供給してもらえれば、必ず消費者は戻ってくると思う。
話がそれたが、穀倉地帯を眺めていると、真夏の風物詩の花火大会で有名な長岡市を通過し、見附中之島ICに午前10:30分に到着。
義母は6年ぶりの帰省だったそうでテンションも高くなっていた。
そして、ちょっと道に迷ったが、無事午前11時20分に義祖父の実家に到着。すでに親戚一同が集合していた。
長岡からわざわざ来ていただいたりと大歓迎を受けた。さらに、お土産に新潟名物の日本酒(八海山、雪中梅、越乃寒梅など)をいただいた。
久しぶりの再会で会話に花が咲いた後、皆で近くのレストランで昼食。メニューには新潟産コシヒカリを使用とあったので、迷わず新潟名物へぎそばと新潟産コシヒカリを使用したネギトロ丼を注文。
へぎそばとは、中越地域が発祥で、麻織物「縮」の産地であったこのあたりの縮の糸を紡ぐ際に、使われていた海藻「ふのり」が、そばのつなぎに使われるようになったのが始まり。
「へぎ」という器に盛られて、「へぎそば」という名が付いた。「へぎ」とは、幅30センチ長さ50センチ程の大きなせいろの様な器で、そばを一口程度に丸めたものをへぎに30個程もりつけ、数人でそれを囲んでたべるそうだ。へぎそばの特徴は、まずなんと言ってもそばのつなぎにふのりを使用し、つるつるしこしこした食感。
少し緑かかっていて、腰があり好吃!!
お腹も満たされたところで、車で10分ほどの所にある次の目的地、義母のおばさんがいる見附市内の介護施設を訪問。ここでも、義母はおばさんの息子さんや姉妹と昔話や近況報告などで話に花が咲いた。
時計を見るとすでに午後3:00。時間も押してきたので、寄り道せず今日の宿舎である「ホテルグリーンプラザ上越」に向かった。行きに通過した塩沢石打ICまで70.6㎞、約1時間かかった。ホテルの赤い屋根が高速道路からも見えたのでICを降りてから迷うことなく、上越国際スキー場(4月6日で営業終了)を目指した。
やっとホテルについたが、宿泊棟がいくつもあり、案内版もないためチェックインの受付にたどり着くまで紆余曲折を経たため時間ロスした。(ホテルにはわかりやすい案内板を増やすなどして改善してほしい)
午後4:30分にチェックイン。部屋は和洋室で約18㎡。2人には適当な大きさで掃除も行き届き、スキー客がメインのホテルのため温泉は広く疲れを癒すのに快適だったが、施設が古く壁がはげ落ちていたり、お風呂に行くのに階段でないといけなかったりと施設の老朽化が目立った。
食事はバイキングだったので期待はしていなかったが、思ったよりもおいしかった。今日の疲れとおなかが満たされたせいか、部屋に戻ってベットに横になるといつの間にか夢の中へいざなわれた。
4月12日(日) 晴れ
昨夜、早寝したため、朝4:00起床。まだ温泉に入れなかったので、ロビーで昨日の新聞を読んだ。
朝風呂も1番で心地よかった。露天風呂からは鷺のつがいが見えたり、休憩所からは狸が出現したりと自然に囲まれた宿ならではのサプライズがあった。
その後、目が覚めて気分も爽快になったところでホテル近辺(上越国際スキー場)を散策した。
まだ雪が至る所に残っているが、雪解けの地面を見ていると色鮮やかなフキノトウに出会った。独特の苦味があり、てんぷらなどに調理して食用にするとおいしい。ホテルの敷地外の川沿いにたくさん群生していた。きっとじめじめしたところを好むのだろう。天然のお土産をゲットした。早起きは三文の徳!
ちょうどひと運動した後に、朝食バイキングの時間となった。魚沼産コシヒカリやサバなどの和食やロールパンやコクのあるコーヒーなど和洋折衷でおいしくいただけた。
帰りが日曜日なので遅くなると高速道路が渋滞することを想定されるので午前8:20にチェックアウトした。
山の中腹から下界に降りる際に、「龍澤寺」という臨済宗のお寺と樺沢城跡を見学した。ここが知る人ぞ知る上杉景勝(1555~1623)の生誕地。彼は、戦国大名のひとりであり、豊臣政権における五大老のひとり。上杉謙信の甥・直江兼続の主君である。
朝風呂も1番で心地よかった。露天風呂からは鷺のつがいが見えたり、休憩所からは狸が出現したりと自然に囲まれた宿ならではのサプライズがあった。
その後、目が覚めて気分も爽快になったところでホテル近辺(上越国際スキー場)を散策した。
まだ雪が至る所に残っているが、雪解けの地面を見ていると色鮮やかなフキノトウに出会った。独特の苦味があり、てんぷらなどに調理して食用にするとおいしい。ホテルの敷地外の川沿いにたくさん群生していた。きっとじめじめしたところを好むのだろう。天然のお土産をゲットした。早起きは三文の徳!
ちょうどひと運動した後に、朝食バイキングの時間となった。魚沼産コシヒカリやサバなどの和食やロールパンやコクのあるコーヒーなど和洋折衷でおいしくいただけた。
帰りが日曜日なので遅くなると高速道路が渋滞することを想定されるので午前8:20にチェックアウトした。
山の中腹から下界に降りる際に、「龍澤寺」という臨済宗のお寺と樺沢城跡を見学した。ここが知る人ぞ知る上杉景勝(1555~1623)の生誕地。彼は、戦国大名のひとりであり、豊臣政権における五大老のひとり。上杉謙信の甥・直江兼続の主君である。
元々は越後の上田長尾家の生まれであり、長尾政景の次男。実母は上杉謙信の実姉・仙洞院(綾御前)。次男ではあったが長兄が早逝したために長尾家嫡男として育つ。しかし9歳の頃、父・政景が突然の溺死を遂げたために叔父である謙信に引き取られて育てられ、実父の跡を継ぎ長尾喜平次顕景と名乗った。
そんな歴史を復習しながら、このお寺に残る貴重なお宝を拝見させていただいた。上杉謙信公の御朱印状(戦国時代から江戸時代初期にかけて、将軍や大名が朱肉の印を押して使用した公文書)や景勝公の母親、仙桃院が寄進したと伝えられる厨子入り「文殊菩薩」など・・。
また、この寺の裏手には小高い丘があり、ここが昔、樺沢城があったところ。 城跡の本丸は標高300Mの山頂にあり、腰を帯曲輪が二重に取り巻き、 中腹以下を三重四重の空掘土塁で防御する堅固な山城だったそうだ。南北朝から戦国時代にかけて城下町だった。
慶長3年(1598)に上杉景勝は豊臣秀吉から会津120万石に国替えを命じられ、樺沢城は廃城となった。
そんな歴史を復習しながら、このお寺に残る貴重なお宝を拝見させていただいた。上杉謙信公の御朱印状(戦国時代から江戸時代初期にかけて、将軍や大名が朱肉の印を押して使用した公文書)や景勝公の母親、仙桃院が寄進したと伝えられる厨子入り「文殊菩薩」など・・。
慶長3年(1598)に上杉景勝は豊臣秀吉から会津120万石に国替えを命じられ、樺沢城は廃城となった。
歴史をたっぷり学んだあと、次の目的地「雲洞庵」に向かった。
2009年、NHK大河ドラマ「天地人」の重要な舞台の一つが、ここ雲洞庵。 雲洞庵は「天地人」の主人公、与六(のちの直江兼続)と喜平次(のちの上杉景勝)が少年期に学問を学んだ地。
2009年、NHK大河ドラマ「天地人」の重要な舞台の一つが、ここ雲洞庵。 雲洞庵は「天地人」の主人公、与六(のちの直江兼続)と喜平次(のちの上杉景勝)が少年期に学問を学んだ地。
また、歩くだけで仏の功徳があるといわれる参道の石畳があり、赤門から本堂へと続く敷石の下には法華経の一文字一文字が刻まれた小石が埋められているとの言い伝えから「雲洞庵の土踏んだか」 という言葉が生まれ、一度は訪れるべき越後の名刹として広く知られることとなったそうだ。
修業(座禅)やをした部屋や学問所など館内(入場料300円)を見学したが、その広さに驚いた。たしかに周りは田んぼと山に囲まれて逃げ場がないので学問などに打ち込むにはいい環境。
庭には水芭蕉もあちらこちらに咲いていた。夏のイメージがあったのでサプライズだった。そんなのどかな風景にも魅せられ、あっという間に時間が過ぎた。
修業(座禅)やをした部屋や学問所など館内(入場料300円)を見学したが、その広さに驚いた。たしかに周りは田んぼと山に囲まれて逃げ場がないので学問などに打ち込むにはいい環境。
庭には水芭蕉もあちらこちらに咲いていた。夏のイメージがあったのでサプライズだった。そんなのどかな風景にも魅せられ、あっという間に時間が過ぎた。
もう一つお寺見学を予定していたがキャンセルして、塩沢石打IC近くの道の駅に寄って、買い物をしてから関越自動車道で一路、所沢ICを目指した。休日にもかかわらず渋滞に巻き込まれることなく予定通りだったので、途中本庄児玉ICで降りて、地元の人には有名な?、助六うどんで、肉うどん(つけめん)を食した。運転手には申し訳なかったが、お腹も満たされ、自然と帰りの車の中では夢の中へ・・。
午後2:00に我が家へ到着し、疲れたので布団の中に入ったら次の日になっていた。
午後2:00に我が家へ到着し、疲れたので布団の中に入ったら次の日になっていた。
(参考)
★ 雪あかり(道の駅)
★ 雪あかり(道の駅)
★ 樺沢城
★ 龍澤寺
★ 雲洞庵