tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

人生の節目の考え方について

 受験がほぼ終了し、新学期は新たなステージ(進学、浪人、社会人など)に向かう。

昨年度までは、日本企業や学校で入学入社式が開催されてきたが、今年はコロナウイルスの影響で、入学、入社式の対応も主催者の判断に任された。

 常々疑問を抱いていたことの1つが、なぜ毎年、同じ時期に入学(義務教育は除く)、入社するのかということ。

 思いつく理由は、人生の節目だから、日本人は横並びが好きだから、結束力を高めることができるから、学校制度が始まってからの伝統だからなど・・。

 結婚式もしかり。人生の門出を祝う、けじめをつける、お金を使わせて別れづらくする?、昔からそういうものだからなどそれらしい理由はある。

 しかし、今の時代、理由がはっきりしないものは通用しない。一例を挙げると、一昔前の運動部では水を飲むと疲れやすくなり運動量が落ちるなどと信じ込まされ水のみ禁止令が出たが、科学的根拠はなく、今では、熱中症対策等で休憩中に水を飲むことを推奨している。

 

 新型コロナウイルスでイベント等が中止、自粛が続く中、入学、入社式も主催者ごとに判断を迫られている。

 個人的には、物心ついてからの卒業(園)式は、一緒に学び苦楽を共にした仲間とともに門出を祝い、次のステージへの決意を新たにする機会になる。また、ここまで育ててくれた支援者(先生、家族など)への感謝の意を表す場としても大切な節目の行事だと思う。

 しかし、入学、入社、結婚などはスタート地点についたところである。近年では、大学卒業後、新卒入社の3割弱がいろいろな理由で3年以内に退職している。結束力を高めるというのはもはや幻想だろう。

 また、結婚した夫婦の3組に1組が離婚(死別を除く)をしているというエビデンスもある。

 

 視野を広げて、どこの国でも同じように入学・入社・卒業・結婚式、葬式など人生の節目がある。

 いろいろな考えがあって当然で、その土地の風俗習慣を否定するつもりはない。

 しかし、日本が近代化のために参考にした欧米先進諸国では、入学、入社式はほとんどない。クラス発表や学校生活のガイダンスを行うだけで初日は終わり。日本の始業式に当たるような学校集会を開催する場合もあるが、親が着飾って式典に参加することはない。

 また、欧米先進国では、個人と企業の契約という考えが浸透しており、採用は1年中行われているため、企業あげての入社式は存在しない。

 

 主催者は、入学、入社を一律に行う必要性は低いように思う。

 それよりも、学校の教育課程を終えた勉強の成果、会社へ貢献してくれた結果を表彰し、次のステージへの門出を祝う意味で、卒業、(定年)円満退職、円満銀婚式(結婚25年)、円満金婚式(結婚50年)などを盛大におこなうのはどうだろうか?

 地域による風俗習慣はあるにせよ、これからどうなるかわからない不確実要素が多い始業よりも終業をもっと重要視してもいいのではと思うのは私だけだろうか?

 葬儀が家族、親族、世間などが故人の功績をたたえるとともに、今ここにいる(生存している)ことに感謝し、人生の節目として盛大に行われてもいいのでは。

 私が、世のため人のために少しでも貢献したと思える人生を謳歌することが大前提で、これから残された人生で挽回しなければその資格はないのは言うまでもないが・・。