tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

コミュニケーション力について(雑感)

辻井伸行さんと聞いて知らない方のほうが少ないだろう。
 アメリカで行われたピアノのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで金賞を受賞し、マスコミでも報道されたことは記憶に新しい。
 先日、彼の生い立ちを紹介した番組を見た。
 小さい頃、母がクリスマスのCDを聞かせると興味を示し、他の人が弾いた同じ曲を聞かせると不機嫌になる反応を見て、この子は音楽にとても興味があると見抜いたと言っていた。
 そして、おもちゃのピアノをプレゼントすると、面白がって聞いた曲を弾き始め、約2歳3カ月で「ジングルベル」を弾いたとのこと。
 私も経験があるが、興味のあることから楽しいことに変わると、自ら進んで進んでいく。さらに、周りの人にほめらられたりすると自信になる。そう考えると、幼少期は、興味を持ったものに対して、遊び感覚で楽しさと自信をつけさせるのが、いいのかもしれない。(子どもも育てた経験がないので説得力はないが・・)
 幼少時の子どもたちは何でも正直に反応するので、面白くなかったりするとすぐに言葉や態度に出る。(幼稚園児や小学校低学年の子にプレゼンをするのは難しい。)
 最初は、目の見えない伸行くんだったのが、すぐにピアノのうまい伸行くんに変わったそうだ。ますます自信がついて、ピアノに打ち込むと共に、いい師匠との出会いや周りの方のサポートもあり、ピアニストへと成長していった過程を放映していた。世間では、目が見えないことは大きなハンディキャップだと認識されることが多いが、彼や彼の周りの人たちは、彼の能力を最大限に伸ばしアドバンテージにした。

 私は、本人の音楽愛はもちろんだが、それを支えてきた両親の無償の愛に心打たれた。
 受賞後の記者会見で記者からの質問に対し、「1日だけ目が見える日があったら、1番見たいのは両親の顔」と回答していたことに、親子の愛情(絆)を感じずに入られなかった。 これからは、辻井伸行として、世界中の人に愛され認められるプロのピアニストになってもらいたい。 

 彼が、父親と近所の小川のほとりを歩いていた時に、川の音が自分に話しかけているように感じて作曲した「川のささやき」を聴き、その情景が頭に浮かびほのぼのとした気分になり、メロディーに心が癒された。
 私のお勧めの1曲!!

 (川のささやき)
 http://www.youtube.com/watch?v=yBcGAt3pSNY


【参考】
 健常者は、生活の中で五感をどれぐらいの割合で使っているかというと80%以上と言われている。
 それに対し、彼は、日常生活において、ほとんどの情報を聴覚(もちろん触覚、味覚、嗅覚もあるが)から得ている。そのため、視覚障害者は、特に聴覚、触覚は身の安全を守る意味でも、敏感になる。(以前、ユニバーサルデザインのHP作成の参考のために、筑波大付属盲学校へ見学に行ったときにお聞きした)児童生徒も、教員の足音、声の調子から誰が来たかわかると言っていた。

  
【私と音楽との出会い】
 小学校の2年生の担任が音楽の先生で、休み時間でも縦笛を吹いたり、必ず授業の開始は、目をつぶってクラシック音楽を聞かすことから始まった。そこで、音感が養われたのか、今でも曲を聴くとなんとなく笛で音をすぐに取れるし、カラオケで音程をはずすことはない。今でもあの先生との出会いに感謝している。しかし、小学校高学年の時、母から、「サッカーとピアノとどっちを習ってみたい」と聞かれ、数日悩んだ挙句サッカーを選択したことを今でも鮮明に覚えている。その当時、男の子は野球かサッカーなどスポーツ系の習い事をしている子が多く、ピアノは女の子のすることだといった先入観を周りから植え付けられていたような気がする。TVのアニメソングなど笛をしょっちゅう吹いていたので、母としては、ピアノを習わせたかったようだ。
 おかげで、サッカーは、その後、高校まで続けることになるのだが、過去のことに「もし」はないが、ピアノを選択していたらどうなっていたか・・と考えても仕方ないか。
 少なくとも、パーティーや趣味で音楽と深くかかわっていたとは思う。残念ながら、今は、音楽鑑賞と笛やオカリナなどを吹く程度だが、音楽なしでは生きていけない。


【私と手話との出会い】
 8年前から3年間、ひょんなきっかけで手話を学習した。
 というのも、自治体の広報誌にたまたま、手話講習会の案内があり、応募したのが始まり。応募理由で多いのは、聴覚障害者の役に立ちたいとか身内に聴覚障害のものがいて手話が必要とか聴覚障害者と接する機会が多い仕事をしているからなどだった。
 しかし、私はというと、恥ずかしながら、学生時代から国際交流のサークルに所属しており、手話ができれば、言葉の通じない人とも、国内、海外を問わずある程度コミュニケーションが図れるのではないかということと、当時、NHKの手話ニュースでおなじみだった丸山氏(寅さんに似ていた)の表現力に見せられ、私もこんな風に表情豊かになりたいという安易な理由からだった。
 きっかけはどうあれ、初めは、手がぎこちなくてスムーズに動かなかったりしたが、講師の先生のおかげで、楽しみながら単語を覚えたいって、簡単な手話で会話ができるようになった。中級に入ると、特に顔の表情で喜怒哀楽を表すなど徹底して注意され、表現力も身についた。また、落語などでも見られる空間を使った表現方法や聾唖教育の歴史や現状・問題点なども学習した。おそらくこの講座を受けなかったら、ここまで深く学ぶことはなかったかもしれない。
 上級編では、特に読み取り能力を鍛えられた。言葉は生き物なので、必ずしも皆、標準の手話をするとは限らない。NHKの手話ニュースなどを視聴していたが、標準の手話なので、残念ながら、聴覚障害者の手話を半分くらいしか読み取れなかった。
 日ごろから聴覚障害者の使う生きた手話に接していないと手話を使って、コミュニケーションを図るの難しいと痛感した。(語学の勉強は皆同じかな)
 3年間の学習を通じて、すくなくとも、聾唖教育の歴史や聴覚障害者の困っていることなどがよくわかった。そして、少しばかりではあるが、当初の目的の1つである表現力もついたと思う。仕事での人前でのプレゼンの時や聴覚障害者への接客などに役立っっている。
 残念ながら、手話は国によって表現が違い、通じないことも多いが、語学と一緒で、身振り手振りの時、アイデアが豊富になり体で表現できるのでコミュニケーションの助けになっていることは疑いの無い事実のようだ。
 仕事を言い訳にしてはいけないのだろうが、なかなか聴覚障害者と接点がもてなく、読み取り能力が向上しない・・。(私の努力不足である)
 手話学習をした方は、私のように中途半端で終わらず、手話を身につけ日常生活や仕事で活かしていってもらいたい。
 
【雑感】
 本人の努力や周りのサポートで、逆境は最大のチャンスに変えることができる。