tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

私と国際交流活動との出会い(大学編1)

 前回のブログで、私と手話との出会いや習ったきっかけを書いたが、今回は国際交流との出会いについて振り返ってみたい。

 そもそも手話を習ったきっかけとして、海外旅行や外国人との交流の際の手助けそして顔の表情など表現力を豊かにしたいと言ったが、そこまでコミュニケーション方法に興味を持っているのはなぜと思った方もいるかもしれない。そこで、数回に分けて私の歴史(?)を振り返ってみたい。まずは、外国人との出会いのきっかけとなった大学時代について書いた。(しかし、途中から失恋話になってしまった・・)

【大学編】
 今をさかのぼるとこ1●年前、当時、桜吹雪が舞う大学の入学式後のキャンパス内で、サークルの勧誘(ビラまき攻撃)が行われていた。
 その先例の渦中に入り、気がつくと、手元にはビラの山。
 私は、小学校から高校までサッカーを続けてきたので、大学に入ったからには、まったく違う分野のことに青春を謳歌したいと漠然と考えていた。
 また、高校は共学とはいえ男女比8:2で、1年次は男子クラス(今後のブログで高校時代については書こうと思っていますので乞ご期待!!)、2年次は共学とはいえ男女比8:2、三年次は理系クラスに進んだので、クラスの中に女性は5名ほどと、傍から見てとても共学とは思えないような環境で過ごしてきた。まして、サッカー部だったので、女性と言えばマネージャーのみ。
 予備校時代(今後のブログで予備校編を囲うと思っていますので乞うご期待!!)も、クラスに女性は少なく、失恋も経験したので、当時流行っていた(今も流行っているのかな?)テニスサークルやオールラウンドのサークルに憧れを抱いていた。
 しかし、そういうサークルは吐いて捨てるほどあったが、ほとんど他大学の女性と合同で、なんとなく軟派な雰囲気が漂い、今まで硬派だった私には合わないと悟ってしまった。
 それならば、文科系のサークルは・・と考えたが、今までスポーツ一筋で生きてきたせいか、それといって興味をそそられるものはなかった。
 そんななか、たまたま、声をかけられたサークルの1つに、今後私が所属することになる国際交流活動をメインとしたサークルがあった。
 勧誘員も、男性には他のサークルがきれいどころの他大学生を差し向けていたが、このサークルは、外国からの留学生と日本人がタッグを組んで勧誘していた。
 正直、その時まで、外国人と話したことなど一度も無かったと記憶している。流暢な日本語で話しかけられ、戸惑う反面、好奇心旺盛なので興味がそそられた。
 言われるがまま、新歓コンパに行くと、そこにはさらにいろいろな国の留学生が勢ぞろいしており、違和感を覚え、逃げ出したくなったが、会話をしているうちに、流暢な日本語にも助けられ、その国の文化や日本での生活のことなど、今まで聞いたことのない新たな世界を知り、新たな発見の連続だった。
 人の縁とは不思議なものだと実感した。ついこの間まで外国人と出会うことすら想像だにしていなかったが、世の中にはいろいろな人種がいるということをこのとき認識した。
 また日本の学生も全国から(帰国子女も含む)集まっており、皆独特の個性を持った人々でとても刺激を受けた。
そしてその後、この個性豊かな仲間とともにサークル活動にどっぷり浸かっていった。

 活動内容は、年に2回行われる留学生による日本語弁論大会の企画運営や旅行、学園祭や各国の文化などの紹介を記載したミニコミ誌の発行などだった。
 自然と留学生と接する機会も多くなり、その方の国のことにも興味を持つようになり、特にアジアからの留学生が多かったので、ハングルや中国語の学習をNHKのラジオ講座や留学生からCD(特にバラード)を借りてひそかに始めた。今思うと、韓流ブームの先取りをしていたのかもしれない。シンスンフンやキムゴンモなどにはまり、今でもカラオケで歌えるかな(ちょっと自慢)。

 大学2年になると、スポーツは体育の授業で卓球を週1回していただけなので、体がうづくとともに、青春時代を謳歌したいという潜在的な欲望に勝てず、国際交流サークルの方の伝でオールラウンドのサークルに入った。
 ここは、創立3年の新しいサークルで、私と同じように、軟派系とは肌が合わない硬派な人が多く、女性も他大学のノリについていけない大和撫子(?)な方の集まりだった。総勢20名程度で、先輩も1学年上しかいないので、上下関係も無く、とても気さくで居心地がよかった。セカンドサークルとして所属している人が多かったが、気がつくとメインサークルになっている人も多かった。
 活動は、週に1回、テニスかソフトボールをして、その後は煙がもくもく出る1000円バイキングの焼肉屋か喫茶店(参加者の男女比で決めていた)で、先輩たちと弱小サークルを軌道に乗せる仕事(?)や人生について熱く語り合い、意気投合した。
 また、サークル内で、マージャンクラブができたりカラオケクラブ(私は幹事長)ができたりと勝手に他の活動もおこなっていた。
  
 夏休み前までは、家庭教師のアルバイト、国際交流活動を中心に生活が回っていたので、一月に2回ほどしか顔を出せなかった。
オールラウンドサークルに本格的にデビューしたのは九十九里での夏合宿だった。
 といっても3日間、昼はテニスとソフトボール、夜は飲み会、花火大会など典型的な内容。
 この合宿で、初顔合せの方もいたが、部員同士とても親しくなった。
なんと同じ学年に、一人女神のように光り輝く、ひと(女性)がいた。
先輩たちにとても可愛がられ、我々2年生には高嶺の花だと思っていたが、なかなかカップルにならないのはとても不思議だった。きっと彼氏がいるのだろうと思っていたが、飲み会の席でも、「彼氏いない」と高らかに宣言していた。
この合宿での収穫は、サークルの結束力が強固になったことと彼女の存在を知ったことだった。
しかし、先輩たちに取り囲まれ話すこともままならなかった。
2学期が始まり、普段の学生生活に戻った。バイトとサークル、授業、そして授業の空き時間に図書館で映画鑑賞することを覚えた。
授業のぺースもわかり、つまらない講義はパスして映画鑑賞の時間に当てたため、1ヶ月に15本くらい昔の映画を見まくった。
11月初旬、秋の学園祭シーズンになると、お祭りを横目に、秋合宿で伊豆に行った。
 これが彼女との交際記念日。
この時、たくさん映画を見ていたので彼女と話が弾み意気投合したのが勝因だろうか・・。
映画って本当にいいですね・・を実感した。

そんなハッピーな時も長くは続かなかった。
春休みは、後期試験のレポート(大学が学費値上げ闘争のため、試験が中止になりその代りとして全教科レポートの提出となった)に追われたり、体育の授業で10日間スキー合宿にいったり(合宿中もレポートを書いていたなー)、受験生を抱えていたため家庭教師のアルバイトに忙しかった。
彼女も実家(京都)に帰ったため、桜の咲く新学期まで顔を拝見できなかった。

 晴れて3年生に進級が決まり、運良く希望者の少ない「計量経済学」のゼミに無事入ることができ(定員が決まっており学部の6割ほどしか入れない)まずは一安心。
 今年も毎年のように繰り返されるサークル勧誘をした。
 オールラウンドサークルはまだできたばかりで本格的にブースを出して勧誘するのが今回が初めて。
1週間くらい勧誘を続けたが、やはりできたばかりのサークルで勧誘のノウハウも確立していなかったため、どうしても敬遠されてしまう。
やっとブースに捕まえたと思ったらなんとサークルの2年生部員と同じ高校の後輩。コネ会員だが、とりあえず1人確保。
 その後も、京都のお嬢様学校出身の子、その他、男子3名の計5名が新歓コンパに来てくれた。
 4年生は就職活動に忙しくなり、我々3年生がサークルの実権をにぎるようになった。
 ところが、彼女は、もう1つのサークル(メインサークル)である○○研究会の幹事長になり、サークルから足が遠のいていった。
私も国際交流サークルの幹部となり、そちらの活動と予定がブッキングすることも多く、なかなか顔を出せなかった。
 語学の授業も2年で終わり、授業に拘束される時間がなくなった。また家庭教師のアルバイトにも精を出したため、学校からだんだん足が遠のいていった。
 そして夏休み前には、彼女とは友達関係に戻ろうということになり、2度目の失恋を経験することになってしまった・・。

●私と国際交流活動との出会い(大学編2)
 http://blogs.yahoo.co.jp/tomohappiest/51646941.html