仕事や家族の絆を築くためにコミュニケーション力が大切だと言うことは言わずもがなだろうが、表現力(方法)についてもとても興味がある。
特に、言葉を必要としないノンバーバルな方法として、音楽、絵画、写真、オブジェ、手話、パントマイム、ジェスチャーなどがあるが、これらを用いた表現方法は世の中にたくさんある。
いろいろな番組でも特集をしているが、いい作品(表現)は、時代が変わっても支持され残っていく。英雄ポロネーズ、乙女の祈り、雨だれ、別れの曲、子犬のワルツなどはクラシックに興味のない方でも曲を聴けばピンとくるだろう。
おそらく、永遠に彼の曲は後世に引き継がれていくことだろ。芸術の秋、是非ショパンに思いを馳せて曲に浸るのもいいかもしれない。
その他、言葉がなくてもその価値(表現)が伝わる芸術もたくさん存在する。
昨日、地元の市民祭りで、アルゼンチンタンゴと落語を観賞する機会があった。
ダンスはもともと、喜怒哀楽を表現する1つの手段として体を動かすことで表現したものだが、発祥の地によって、独特の味わいがある。サルサ、メレンゲ、レゲエなど中米を中心に発展したもの、アフリカン、バレエ、ヒップホップ、ブレイクダンズ、タップダンス、アイリッシュダンス、社交ダンス、サンバ、カポエラ、ケチャダンス、サムルノリ、日本舞踊など民族ダンスを挙げればきりがない。自然発生的にダンスが日常生活に不可欠だったということだろう。人間だけでなく、動物にも求愛行動などでダンスらしいことが行われている。
話を戻して、この公演では、はじめにタンゴの歴史、そして実演、最後に質問という段取りでで進められた。
1492年のクリストファーコロンブスによる新大陸発見から、スペインの植民地となったが、フランスのナポレオンのスペイン侵略を機会に、1810年5月25日に独立宣言を行う。こちらも、ショパン同様、今年で200周年。
タンゴは、1880年頃、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス(港町ボカ地区)で生まれた。ボカといえば、サッカーファンなら、あのマラドーナが最初に所属していたサッカーチーム「ボカジュニアース」の地元でもある。
当時、ブエノスアイレスの此の地帯は、新天地を求めて来た移民者がひしめき、フラストレーションのはけ口として、男同士が酒場で荒々しく踊ったのが、タンゴの始まりとのこと。
次第に、娼婦を相手に踊るようになり、男女で踊るタンゴの原型が出来ていくが、下品な踊りとされていた。
しかし、タンゴは労働者の下層階級を中心に、日増しに人気を得て行った。
当時、ブエノスアイレスの此の地帯は、新天地を求めて来た移民者がひしめき、フラストレーションのはけ口として、男同士が酒場で荒々しく踊ったのが、タンゴの始まりとのこと。
次第に、娼婦を相手に踊るようになり、男女で踊るタンゴの原型が出来ていくが、下品な踊りとされていた。
しかし、タンゴは労働者の下層階級を中心に、日増しに人気を得て行った。
1895年には、DON JUANによってタンゴに曲が付き、1917年にはCARLOS GADELにより歌われるようになった。
戦争中は、一時禁止令が出たが、今では、世界中にアルゼンチンタンゴ愛好者がいる。日本ではまだ、3万人ほどとのこと。そのために、今日もここで、アルゼンチンタンゴ普及のためにデモンストレーションを披露しに来たとのこと。バンドネオンの調べに乗ったリベルタンゴなどは聞いたことがある人も多いと思う。
演技に魅了され、会場は拍手喝采だったのは言うまでもない。
次に、落語だが、正直私は、笑点などの漫談は小さい頃から見ていてなじみがあるのだが、本場の落語を聞く機会はゼロに等しかった。
実際の落語を聞くと、内容がわかりやすいせいもあるが、話よりも師匠の演技表現力に魅せられた。顔の表情や声のトーンを変えて1人2役を演じるなどは、手話表現に通じるものがあり興味深かった。
長い話を聴衆に講談するのは、記憶力も必要だろう(もう反射的に頭に染み付いているのだろう)。表現者としても、すごい能力だと再認識した。
芸術の秋をさらに満喫した1日だった。
余談だが、先週のバレエ、ジャズダンス、フラメンコ、フラダンス鑑賞から、ダンスの魅力に引き込まれた。踊る阿呆に見る阿呆ではないが、踊らにゃ損というjことで、社交ダンスやサルサなど昔取った杵柄で始めてみたいと思った。もちろんアルゼンチンタンゴも。その前にパートナーが必要なのだが・・。
(参考)
癒しのショパンの曲が聞けます
タンゴの名曲を紹介