tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

自分の歩みを振り返る(中校・高校編)

 最近本屋の陳列棚を見ると、目の届く範囲にやたら、自分史に関する本が目に付く。ちょっと立ち読みしてみると、TVではノホホンとやっているように見える人も、実は今まで歩んできた道はかなり紆余曲折がある。そして本を読み終えると、とても勇気付けられている自分がいる。 
 私は、まだ人生の折り返しにも達していないが、自分史なるものをつけて、今までの歩みを振り返ってみた。今の自分があるのは(そんな立派には成長していないが)、両親や兄や友人たちはもちろんのこと、周りの環境にも恵まれたからだと思う。改めて皆にこの場を借りて感謝したい。
 これから、まだ長い人生が待っているので、まずは一緒に苦楽を共にするパートナーを探さなければと思う今日この頃である。


【中学編】
 中学校は、地元では評判のいい(当時は偏差値の高い高校への進学率がいい学校の基準)学校だった。
 管理教育が厳しく、ドラマに出てきそうな体育教官が権力を握っており、学ランの襟詰めも止めていないと体罰にあった。今では即懲戒免職ものだろう・・。
 中学校でも部活はサッカー部。小学校時代の仲間もみんなサッカー部に入部し、なんと3学年合わせて100人以上の部員。
1年生の秋までは、ボールをけることもできず日々玉拾いとキックの素振り、スクワッド、校庭の外周のランニングというメニューの繰り返し。
これで3分の1はやめるだろうと顧問の体育教官も思っていただろうが、そうは問屋がおろさず、1年生40人中退部したのは1人だけ。
2学期になってボールをけれたときの喜びと、素振りやスクワッドのやりすぎで足が太く短くなっていて愕然としたのはよく覚えている。
冬は日没も早くグランドがぬかるんで使えなかったので、朝練習も午後練習も校庭の外周900Mを1周3分で帰ってくる3分完走を10本走りこみ。
毎日学校に行くのがいやでいやでしょうがなかったが、馴れとは恐ろしいものでいつの間にか、ノルマをこなしていた。
このときの走りこみのおかげで、春の大会以降試合時間80分走れる体力がついたことはいうまでもない。
2年生の秋から、3年生も受験準備でいなくなり、日ごろの練習の成果が実って、左のミッドフィルダーのポシションを獲得。
サッカーをやっていてとても楽しい時だった。
3年生になるとわが校では教職員一丸となって受験の準備に取り組む雰囲気が伝わってきた。とはいえ、小学校時代からの友達が同じクラスになり、公私共に充実して楽しいときだった。
 夏休みを前にしてさすがにちょっと焦りだし、塾の夏期講習に通った。このころの成績は数学、社会以外5段階評価で3から4といったところ。
夏の大会を県ベスト16で終え、これから勉強というときにはもう甲子園の野球も終わり新学期が近づいていた。
 明らかに周りより勉強が遅れていたが、神様は見捨てなかった。ここから、今まで培った体力にものをいわせ、毎日午前様まで参考書と問題集片手に勉強していた。
 おかげで夜食のレパートリーも増え、(体重もかなり増えた・・)今でもこのときの調理法はいかされている。

 最後のバカ力が通じ、3者面談では難しいといわれていた高校に合格できた。その喜びもつかの間、さらにうれしいことに、中学生になって初めてクラスの女子からバレンタインのチョコレートをもらった。
 しかしまだ青かった私は、ホワイトデーにお返しをしなかったことを今でも悔やんでいる。言い訳になってしまうが、そのころはサッカーが恋人だった。ごめんなさい○○さん。

【高校編】
 そして、無事公立中学校を優秀な?成績で卒業し、晴れて共学の県立高校に入学。
 中学では、体育教員を中心とした管理教育の恩恵にあずかり、学ランの襟止めを閉めて登校していたが、高校入学とともに自由の学園(私服、早弁OK)の環境下におかれた。
そこまでは事前に知っていたが、入学式の後のクラス(10クラス)発表掲示板の前で驚きで立ち尽くすことになるとはこのとき考えもしなかった。
1組から順番に自分の名前を探したが、見当たらない。今度は10組から遡って見てみたが、それでも見つからず。
自分の苗字だと40人中20番から30番の間にあるはずなので、そのあたりをじっくり見たが、やはり見当たらない。
もしや入学取り消し、コンピュータミス・・などいろいろなことが頭をよぎったが、一緒に掲示板を見に行った友人から、「○○、1年9組に名前があったよ」と教えてくれた。
 すぐに確かめるべく、名簿を見たが名前がない・・と思ったら36番に名前があった。あれ、待てよ・・。よく見ると全員男子。
 そう今年から何の通知もなく一方的に9組、10組が男子クラスになったとこのとき初めて知った。
共学とはいえ、入学者の男女比が8:2。そこで当局は、今年から試験的に男子クラスを作り、ほかの組は男女比ほぼ5:5になるようにしたようだ。

 しかしたまったものじゃない。こっちは犠牲者。
中学までサッカーと受験勉強に明け暮れたので、高校こそは青春時代を謳歌したいと心の片隅にあったのに、現実は・・。このとき、この後の高校生活に暗雲が差し込んだ。
 そんな中、担任は40歳代半ばの女性。クラスで紅一点となると、女神のような存在だった。
 高校でも結局サッカー部に入部。
 そしてこの1年間、若い女性と事務的な言葉を交わしたのは、選択の音楽の授業で一緒になる子と部活の先輩マネージャーだけ。これは笑い話でなく現実に起こったこと・・。
 同じ学年にもかかわらず男子クラス2組は、2年生と同じ新校舎同じ階にあり、理科室や音楽教室など特別教室がこの校舎にあった。まったく同学年の女子生徒と隔離された状態だった。週1回の音楽の授業が待ちどおしかったことを今でも鮮明に覚えている。

 ところがあれだけ文句たらたら言っていたが、馴れというのは恐ろしいもので、2学期にもなると男子クラスの雰囲気に染まり快適だった。たとえば服装。異性の目がないので誰気兼ねなく自由を謳歌していた。
 とはいえ、1年間他から隔離された高校生活と共学校なのになぜ男子クラスにいるのか納得いかないと当局と交渉した結果、2年次には10クラスとも共学となった。しかし、手を上げて喜ぶのもつかの間、クラス替えになり教室に入ると、どのクラスも40人中女性は5、6人。
 それでもいないよりはいたほうが精神衛生上も好ましいので、まずは一安心。しかし今まで男子クラスの雰囲気に慣れきっていたので、はじめはとても戸惑った。
 
 2年生になって、サッカー部も3年生が春で引退、すぐにわれわれの天下になった。中学と違い、この高校は生徒の自主性に任せるところなので(今でもその伝統は受け継いでいる)、とても自由にのびのびと練習していた。
そのせいか、大会での成績は振るわずいつも県大会2回戦負け。何とか最後の冬の全国高校サッカー選手権予選ではいい成績残したいと、部員一丸となって練習に取り組み、秋の予選大会で県ベスト16でその年準優勝した高校に1-3で敗れた。
 
 そして時は流れ、3年生になると、理系文系にクラスが分かれるため、理系を選択した私は、当然男子クラス・・と思いきや、10クラス中3クラスの理系コースの内、我が3組だけは共学クラスだった。我を見捨てなかったと言いたかったが、理系国立クラスを希望した女子は8人で、みんな秀才タイプの人が多く、相手にしてもらえなかった。(ちょっと偏見が入っていることをご容赦ください) 親しみやすい女性もいたが、もうすでに彼氏持ち。
 結局3年間、男子校とあまり変わらない高校生活となってしまった。それでも自由な校風のもと、3年間、高校生活を自分なりにエンジョイできたのは救いだった。こんな高校時代を過ごしたおかげで、自主的に物事を考え、責任ある行動をすることを身につけた。
 春に部活を引退し、勉強をがんばったが、大学入試はそんなに甘くない。我が高の悪しき伝統である「入学時は優秀だが卒業するときは・・」というフレーズにぴったりはまり、志望校の国立大学には当然のことに振られ浪人が決定。受験の次の日、スキー場でスキーを滑ったのはいい思い出だ。(だから受験にも滑ったのかな?)

 3月中に予備校の手続きを済ませ、4月に晴れて「S予備校」の門をたたいた。当時は、わが高校の浪人生の大多数はK塾に行っていたが、あえて知人が少ないS予備校の国立文型コースを選んだ。

●自分の歩みを振り返る【予備校編】
 http://blogs.yahoo.co.jp/tomohappiest/51732310.html