川越は小江戸と呼ばれ、江戸情緒が今に残る蔵作りのまちで全国的にも有名なまち。
慶安元年(1648年)、川越城主の松平信綱が氷川神社へ神輿や祭礼用具を寄進して祭礼を奨励し、同4年(1651年)、氷川神社の神事祭と氏子の町が中心となって行った町方祭礼行事がこの祭りの起源とされている。
まつりの見所は、各町会が誇る山車の巡行と、曳っかわせ(山車が)各町会の会所前や他町会の山車とすれ違ったときに、正面に向き合ってお互いに囃子を披露するところだ。
そのために、山車は回転できるようになっており、曳っかわせの時には山車が回転して祭りも最高潮に盛り上がる。
山車は全部で29あるが、今年は20参加。それぞれ特徴のある人形が御神像として山車の上に飾られていて、子どもたちも、お囃子として山車に乗っている。
例年、日曜日に行っていたのだが、人出が多く、前に進まないので、今年は1日早く見学した。
平成17(2005)年2月には、「川越氷川祭の山車行事」として国の重要無形文化財に指定された。いつまでも、伝統行事として、子孫に伝えていきたい文化の1つだろう。
川越の歴史を振り返ると、江戸時代は、藩主に徳川幕府の大老や老住職が就任しており17万石の城下町として栄えた。中には、歴史教科書にも出てきた5代将軍綱吉に仕えた側用人「柳沢吉保」も、元禄七年(1694)に30代で川越藩主7万2030石の藩主となり、その4年後には老中に出世している。
明治26(1894)年、の川越の大火事もあったが、苦難を乗り越え現在まで江戸の伝統を引き継いでいる。
特に、今でも町の一角に残る蔵造の町並みやまちのシンボル「時の鐘」、徳川3大将軍家光の乳母の春日の局の化粧の間や家光誕生の間が寛永15年(1638年)の江戸城の大火によって移築された喜多院などは、今でも江戸の香り漂う観光スポットとなっている。
香りつながりで、川越は芋でも有名。香りといってもおならではない。8台将軍吉宗の時代の青木昆陽が広めた。
10代将軍の家冶の頃には、川越のサツマイモは『栗より美味い十三里半(江戸からの距離)』と言われ親しまれ、川越藩主がサツマイモを献上したところ、いもの鮮やかな赤味の美しさと美味しさから、『川越いも』と名づけたとも伝えられている。やがて紅赤のほくほくと美味しい芋が、川越いもの主流となった。
そして今では、いろいろなサツマイモの商品があふれている。例えば伝統いも菓子のせんべい、芋納豆、 芋ようかんに始まり、芋アイス、芋ビールなどもある。 川越の町おこしの1つとしてアピールしている。 その中でも、伝統の川越芋の味を引き継ぐ「亀屋栄泉」は、天明3年の創業。
町おこしつながりでは、最近B級グルメやご当地検定同様、町おこしの起爆剤としてマラソン大会が全国で盛んに開催されている。今年11月29日に、川越シティーマラソンが、約1万人の参加者を募り、盛大に行われる。川越市内もコースに入っており、江戸情緒あふれる蔵づくりの町を満喫しながら颯爽?と走れる喜びに浸れる(ようにトレーニングしている)。
東京都心からも1時間かからないので、是非1度、江戸文化の香り漂う川越の町に来て、タイムスリップした気分を味わってみてはいかがだろうか。
(参考)
川越まつりはこれで攻略
川越を満喫する旅のガイド
川越の歴史を知るには
大鳥居が目印(パワーすっぽとになりそうな泉もある)
★亀屋栄泉
川越の伝統銘菓発祥の店
川越の町を実際に歩いた旅行記(川越のまち同様、筆者も美しい)
菓子屋横丁
菓子屋横丁では、明治の初めから菓子を製造していましたが、関東大震災で甚大な被害を受けた東京に代わり駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていました。 現在は10数軒の店舗が連なり、昔懐かしい横丁の雰囲気が満喫できます。平成13年度には、横丁の雰囲気と下町風の菓子の懐かしいかおりが漂うことから、環境省の「かおり風景100選」に選ばれています。
菓子屋横丁では、明治の初めから菓子を製造していましたが、関東大震災で甚大な被害を受けた東京に代わり駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていました。 現在は10数軒の店舗が連なり、昔懐かしい横丁の雰囲気が満喫できます。平成13年度には、横丁の雰囲気と下町風の菓子の懐かしいかおりが漂うことから、環境省の「かおり風景100選」に選ばれています。