tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

皐月の箱根・小田原の海山の幸に乾杯!

 連休明けの観光地の訪問客が落ち着く頃合を見計らって、家族旅行を実行した。今回の目的地は、新緑とツツジに囲まれた箱根(の山と湖)と海の幸とお城を堪能できる小田原。その時の様子を備忘録もかねて日記形式でまとめてみた。今後の箱根・小田原観光の参考になれば幸い。
 
5月16日(金) 晴れ
 AM6:30家ーAM6:50高田馬場駅ーAM7:25新宿駅ーAM9:00箱根湯本駅ーAM9:30強羅駅ーAM9:45早雲山駅ーAM10:30大涌谷駅大涌谷ーAM11:30姥子駅ーAM12:00ホテル花月園ーPM1:00桃源台駅ーPM1:30箱根町港ーPM1:45元箱根恩賜公園ーPM2:40元箱根港ーPM3:00山の上ホテル(ツツジ)ーPM3:45元箱根港ーPM4:20桃源台駅ーPM4:40大涌谷駅ーPM5:20早雲山駅ーPM5:30宿泊所
 
 本日、有休を取って、1泊2日の箱根、小田原旅行に出かけた。
 昨日の荒れた天気とはうって変わり、五月晴れとなった。日ごろの行いがいいからか?  今日はいいことがありそうな予感・・。
 予定どおり家をAM6:30に出発。行きは1か月前に箱根ロマンスカーを予約し、前日に箱根フリーパス1日券を購入した。
 起床してから朝食をあわててとってすぐに電車に乗ったので、高田馬場駅からウォーミングアップを兼ねて新宿駅まで約30分歩いた。
 新宿駅からはロマンスカーを利用し、通勤客を横目に優雅なひと時に浸った。
 ガイドブックを読んだりしていたらあっという間に箱根湯本駅に到着。時刻はAM9:00。車内の人は1日フリーパスを利用する方が大半で家族連れが多かった。
 ここから一路、急坂を登山鉄道で強羅まで行った。高度が上がるにつれ、山ツツジの鮮やかな紅色が目に飛び込んできた。
 
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 また、二宮尊徳(金次郎)の出生地である小田原市栢山から来た遠足の児童(の声)で車両は埋め尽くされた。彫刻の森駅で降りると急に車内は静かになり寂しく?なった。 
 強羅駅に到着し、すぐにケーブルカーで早雲山駅へ約10分乗った。駅に降りると荷物が1つないことに気付き、思わず大声を上げてしまった。するとたまたま偶然隣にいた乗降者から、「強羅駅で駅員さんが誰か忘れ物していませんかとアナウンスしていましたよ」と教えてくれた。
 すぐに早雲山駅の車掌に強羅駅で忘れ物がないか確認してもらい、なんとありがたいことに、30分後に到着する次の早雲山行の電車で荷物を運んできてくれることになった。その間、今日の宿泊先(駅から徒歩10分)まで行って荷物を預け、早雲山駅まで戻った。
 荷物を受け取り、気を取り直してロープウェイに乗車。いざ出発!! イメージ 2
 
 大涌谷で下車し、お約束の卵のマスコットの前で写真撮影。残念ながら富士山は頭しか見えなかったが、大涌谷の卵を沸かす温泉?を見学できてよかった。
 
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 平日ということもあるが、箱根の観光スポットは外国人観光客だらけ。おそらく、ガイドブックで紹介されたりしているのだろう。また、団体ツアーの定番コースとして人気があるのだろう。
 大涌谷を後にして姥子までロープウェイで行って、ホテル花月園まで歩いた。すると、園内は予想どおりツツジで満開。ちょうどお昼時で、ツツジを背景にしてお弁当を食べた。しばらく穏やかな雰囲気に癒され、日頃の疲れが吹っ飛んだ。
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 バスが来なかったの、桃源台まで自然探勝路を歩いた。下り坂だったので思ったより早く到着。
 箱根町港までの海賊船で芦ノ湖を半周した。戦場でも外国人観光客が大多数を占め、あちらこちらで記念写真を撮っていた。我々も、交代で写真を撮ったり撮ってもらったりした。
 箱根町港から箱根恩賜公園まで待ち時間なくすぐにバスに乗れた。今日はついている。恩賜公園内は丘になっており、急坂が続いたが頂上に立つと芦ノ湖が視界に入り青空と新緑が映える筆舌に尽くしがたい景色が目の前に広がった。
 青空に映える西洋風の湖畔展望館の2階に上がりバルコニーに立つと芦ノ湖の絶景が広がった。しばし、優雅な雰囲気にしばし浸った。
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 しばらくここにいたかったが時間もおしており、展望台から見える山のホテルのツツジを見たかったので先を急いだ。
 箱根元町港までは、旧街道杉並木を散策した。向かい側からはウォーキングの集団と何度もすれ違った。昔の人に想いを馳せながら、元箱根港までの約10分間、新緑と旧街道の杉並木に酔いしれた。
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 元箱根港では山の上ホテル行きのバスを待つ人で長蛇の列ができていた。
 出発まで時間があったので、しばらくの間、芦ノ湖で海賊船などを眺めていた。
 バスに乗って5分ほどで山の上ホテルに到着。すでに大勢のツツジ見物客で庭園はにぎわっていた。庭園内に入場料800円を払って入場すると、一面鮮やかな赤白ピンクのツツジが目に飛び込んできた。まさに今が最盛期。彩花を見るのに一番いい時季に来たようだ。
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 さらに上の方ではシャクナゲも鮮やかな紅色をはなっていた。
 
 約40分、十分彩花を満喫した。PM3:45箱根元町港を出発する海賊船に乗るため、ジョギング?で港を目指し、何とかぎりぎり間に合った。
 帰りの海賊船はすいており、ゆったりとした状態で芦ノ湖を見物できた。
 
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 桃源台からロープウェーで帰路を目指したが、途中、富士山の雄姿が目に飛び込んできた。思わず何枚もカメラのシャッターを押した。
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 さらに、大涌谷で下車して、お約束の卵のキャラクターの看板と富士山をバックに写真を撮ってから早雲山の宿泊所に帰った。
 宿泊所は2年前に建て替えたばかりで、とてもきれいで快適だった。
 料理も最高!!
 温泉に入って疲れをいやした後、カラオケで歌いまくった。旅行1日目は幸運に助けられ最高だった。
 
 5月17日(土) 晴れ
 AM8:30宿泊所ーAM8:45早雲山駅ーAM9:00強羅上駅ーAM9:05強羅公園ーAM10:00強羅公園バス停ーAM10:20小涌谷バス停ーAM10:30蓬莱園ーAM11:15千條の滝ーAM11:45小涌谷駅ーPM0:30早川駅ーPM0:32鈴廣蒲鉾ーPM1:00箱根板橋駅ーPM1:20早川港ーPM3:00小田原城址公園ーPM4:00小田原駅ーPM5:50新宿駅ーPM6:30家
 
 今朝AM5:00起床。まずは目覚ましに温泉(弱酸性)に浸かり、宿泊所の周りを散歩した。すると山ツツジの鮮やかな紅色が目に飛び込んできた。
 大涌谷の噴火口も少し見えるくらいまで登ってから、宿舎まで帰ってきた。まだ朝食まで時間があったので、新聞を読みながら過ごした。
 すると神奈川新聞の地域版に「山の上ホテルツツジ」を特集していた。
 朝食は、シンプルな和食だったが今が旬の「鯵」が美味だった。どうやら、箱根小田原近辺は、鯵が旬な魚のようだ。イメージ 10
 
 今日のお昼は、早川(小田原)漁港にいる予定なので、鯵定食のおいしい店にしようと決めた。
 おなかも満たされ、出発の準備をしてAM8:30にチェックアウト。今日も予定が詰まっているので、電車に遅れないよう行動することを心掛けた。
 強羅公園に予定通り開門のAM9:00に到着し、園内を見学した。すると、ここでもツツジが真っ盛り。これでもかといわんばかりに彩花が目に飛び込んできた。
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園内をくまなく見て回った後、運のいいことにすぐにユネッサン行きのバスに乗れて時間をだいぶ短縮できた。
 小涌谷で下車して、蓬莱園までは徒歩5分。その前に立ちはだかる老舗旅館の三河屋に立ち寄った。ここは創業明治16年創業で、中国革命の父 孫文、画家の竹久夢二歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻、作家田山花袋など、多くの文人墨客にも愛さただけあってとてもクラシックで優雅を感じられる伝統ある旅館。しばし時のたつのを優雅さに浸った。
 それから、蓬莱園を訪れると、ツツジは満開とは言えなかったが、ところどころ美しい景色を拝見することができた。その足で、歩いて15分くらいのところにある千條の滝を見学。森林の中にひっそりとそびえたつ優雅な滝と新緑で大いに癒された。これから浅間山登山にむかう家族連れを横目に、小涌谷駅を目指した。
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 ぎりぎり予定していた電車に間に合い、早川駅にPM0:30に到着。駅直結の鈴廣蒲鉾店で揚げ物セットなどお土産を購入。
 次の箱根板橋駅で下車し、約20分早川漁港まで歩いた。海が近づくにつれ潮の香りがして海風も心地よかった。
 漁港では朝市が開かれていたそうだが、もうすでに時遅し・・。漁港市場の一角に行列ができていたので見てみると、食堂があった。これでは1時間待ちの勢いだったので、しばらく漁港近辺のお店に寄ったりした後、波の音に癒されながら浜辺でひと眠りした。
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 疲れもとれたところで行列のできるお店によってみると、運のいいことに待ち人がいなかったので店内に潜入。すると満席状態。
 鯵定食はすでに売切れだったので、海鮮丼を注文。味はまあまあかな。おそらく採れたてのものではないような・・。それでもお腹も満たされ満足。
 
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 ここから、小田原城まで地図を頼りに歩いた。そして天守閣が視野に入り、もうすぐと思ったところに、ういろうのお店があった。店の外観がお城を模したものだったので、興味本位で中に潜入。すると博物館になっていた。
 小田原城市公園南側にひときわ目立つ白壁、瓦葺の武家屋敷を思わせる小学校があった。校名は、現校地が小田原城の三の丸だったことに由来する「小田原市三の丸小学校」。
 公園入り口では、NPO法人のガイドさんが立っており、公園内の見どころを聞いた。すると、天守閣だけでなく銅門などもお金をかけて復元したそうで、是非見ていってほしいといわれたので、少し遠回りして銅門から公園内に入ることにした。公園内は思ったよりも広く歩き疲れた体には少しこたえたが、見ごたえ十分。
 ところどころに立っている案内板を読んだりして歴史の勉強にもなった。ここは平成18年10月に「日本の歴史公園100選」に指定されたそうだ。桜で有名だそうだが、6月の花菖蒲も見ごたえがあるそうだ。
 そしてついに今日のお目当ての天守閣へ。入場料410円を払って中に入ると、博物館になっていた。
  
 古文書によると寛永11年(1634)に、三代将軍徳川家光小田原城天守閣に登り、武具を見たり展望を楽しんだという記録が残っている。元禄16年(1703)の大地震のときには、小田原城のほとんどの建物が倒壊・焼失してしまったが、天守閣は宝永3年(1706)に再建され、明治3年(1870)の廃城まで小田原のシンボルとしてそびえていた。
 現在の天守閣は、昭和35年(1960)5月に、市制20周年の記念事業として復興したもので、宝永時代の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元したものだそうだ。内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっている。標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、伊豆大島も島影がはっきり見ることができた。よく晴れた日には房総半島まで見ることができるそうだ。
 
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 小田原城の歴史は下記のとおり。
小田原城の前身は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、現在の県立小田原高等学校付近の高台(八幡山)に築いた山城。城の規模や築城年は明らかになっていないが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられている。
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していった。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達した。
しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代は終焉を迎えた。
 北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修された。その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新された。
 貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至った。
 小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物は解体され、後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となった。さらに明治34年には、二の丸に御用邸が建てられたが、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまった。
その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興された。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門が、平成9年10月に銅門、平成21年3月には馬出門が完成。
 小田原城は、昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定され現在に至っている。
しっかり歴史も学べ、天守閣の最上階からは相模湾が一望でき殿様気分も味わえた。
 
 帰りに小田原駅でお土産を購入して、電車の中では爆睡した。夢の中では、2日間の訪問先の情景が描かれていた。
2日間、天気に恵まれ、山と海を満喫できた楽しい箱根と小田原の休日だった。
 
(参考)
★ 小田原城歴史も学べる)