tomohappiestの日々是雑感

日常生活でのふとした出来事から大イベントまでその時感じたことを書いていこうと思っています!!

経済と人間の心理行動の関係は複雑・・

  先日、日銀が4年3ヶ月ぶりにゼロ金利政策に舵を取った。今回は時間軸もはっきりさせ、消費者物価上昇率が前年比1%上昇するまで続ける。
 はっきりと政策を打ち出したことで円高デフレに積極的に関与する姿勢を打ち出した。
 また、臨時措置として、国債社債など多様な金融資産を買い入れる基金の創設も決めた。基金の買い取り対象には、価格が下落すれば損失が発生するため「禁じ手」とされてきた金融資産も含まれている。
 
 量的緩和政策は、世の中のお金全体の額を増やして、お金の出回る量を増やし、そのお金で企業の設備投資や運用を促す金融政策。具体的には、都市銀行地方銀行市中銀行)の持っている国債や手形を日銀が買い取って、市中銀行が日銀に持っている当座預金にその代金を置いて当座預金残高を増やすこと。
 市中銀行は、日銀に置いてある当座預金残高の額に比例して融資(おカネの貸し出し)を行うことができるので、この当座預金の残高を増やせば、融資額が増えていき、世の中に出回るお金の量も増える

 
 長らく続いていたゼロに近く金利政策が、教科書通りに景気を上向かせることができなくなってきており、「お金の流通量」を調整することで、景気の調整を行おうとしているのが現在の量的緩和政策。
 しかし、この政策も、投資家や企業が連動して資金を借りて、設備投資をし、雇用の創出や消費の拡大へとつながっていけばいいのだが、こう不景気が続くと、どうしても守りの姿勢に入って、消費者や企業もなかなか積極的に動かない。
 また、市場にお金を流通(増やす)させることで、円の価値を下げ、円安へと導きたいのだが、アメリカも11月には量的緩和をするとのことなので、投資家は、日本の円を買ってしまい、円の価値が思ったほど下がらないのではという懸念もある。
 
 結局、いくら机上で考えた理論的には正しいことを行っても、周りが必ずしも思ったように合理的に行動するとは限らない。そこが、悩ましいところなので、政府や日銀がリーダーシップをとり、うまく関係機関が連動していかないと末端にはとどかない。
 
 世の中にそんな例がたくさんある。大きいところでは、社会主義計画経済の失敗がある。すべてを政府が一元管理して、貧富の差をなくし平等な社会にすることを目指したが、現実は、ご存知のとおり管理しなければならない数が多すぎた。生産者のやる気をそぎ、消費者の嗜好、諸外国の技術の変化、環境の変化などに追いつけず、粗悪な製品がでまわり、ますます国際競争力に勝てなくなってしまい国家全体が貧しくなってしまった。
 世の中の動きは、そんな単純ではないという視点が抜けていたといえるだろう。
 
 人は合理的(理論的)に行動するという経済学の基本の考え方を覆す例はたくさんある。
 そもそも、経済学の理論どおりに世の中が動くのであれば、だれしも株を買って大もうけすることができると思うが、そうはなっていない。
 
Q1 たとえば、鉛筆1本が目の前のA店では200円で売っているが300m先のB店で100円で同じものが売っていたら、どちらの店で買うか。
 
Q2 大型テレビが、目の前のA店では10万円で売っているが、300mはなれたB店では9万9900円で売っているとわかったらどちらの店で買うか。
 
おそらく、Q1はB店、Q2はA店と答える人が多いのではないだろうか。「テレビはほとんど同額だが、鉛筆は半額だから」と考えて行動するのではと思う。実際にはどちらの製品も100円と言う同じ価値だけ安いのだが・・。
 
Q3 A、Bのどちらを選択するか。
A:くじを引かなければ、8千円もらえる。 
B:外から見えない箱に入った赤球・白球1つ入った中から引いて、赤玉が出たら2万円、白玉が出たら0円もらう。
 
 おそらく、Aを選択する方が多いのではないか。Aであれば確実に8千円もらえるので・・。確率的には、Bの期待値は、1万円(2万×0.5+0×0.5) :赤球・白球とも半分の確率で出る。
 確率理論とは裏腹に行動する(おそらく、ゼロは嫌だと危険回避に走る行動に出る方が多いと推測する)だろう。
 逆に、パチンコや競馬や宝くじなどは確率的には投資すればするほど損をするようにできているが、人間の一攫千金の夢など射幸心をあおって、確率(期待値)とは逆の行動を促している。
 
 次に私も経験があるのだが、株の売買のお話。
 株の売買では、損切りが大切と言われている。例えば、A株を1000株、100万で購入し、当初は120万円くらいまで株価が上がったが、最も上がるのではと欲が出て静観していると、徐々に下がり始め原価100万円をきって、90万円となってしまった。ここで売ったら、10万損をするし、また上がるかもしれないと思って静観していたら、ますます株価が下がり・・と結局、売るに売れなくなってしまったという経験がある。
 株価が90万円になったときに、売れば10万円の損ですんだのだが、損はしたくないと言う心理が働いてそのままにしてしまったのだろう。売らなければ損は確定しないし、またいつか上がるのではという淡い期待もあって・・。まるでバブル時代の不動産や土地神話で、これらの値段はいつまでも上がると信じてずっと所持していた投資家のように・・。世の中、儲かる人もいれば損する人が必ずいて成り立っているし、人生同様、山あり谷ありということを忘れさせるほど人の欲望はなかなか変えられないと言うことか。
 
  話し外れるが、先の戦争でも、戦争首謀者は、ここまで着たら負けが濃厚でも引き下がることができないという意地とプライドと保身が、終戦を遅らせたのだろう。
 映画で、「1人殺せば殺人だが、大量虐殺になると英雄になる」という恐ろしいセルフがある。これも人間の心理に深く結びつく行動の怖さを思い知らされる・・。
 
 次に、今回の経済不況で、消費者の心理として、またいつなにが起きるかわからないので、貯蓄しておこうという心理が働く可能性がある。子ども手当てではないが、政府の景気刺激策で始めたが、お金が入っても、それを将来不安から消費に向かわず貯蓄にむ向かう可能性がある。
 そうなると、今度の日銀の政策も、理論どおりには進まなくなる。将来の生活の安全保障など信頼がないとなかなかすぐに人間の気持ちはかわらない。
 
 一方、人間の心理をうまく付いた政府の政策もある。たとえば、エコポイント制度やエコカー減税
消費者に期間限定でお得感を抱かせて、消費欲を刺激した。企業もそれに乗じ、技術投資して環境にやさしい製品を作るようになった。
 財源は、税金なので政府の財政を圧迫しているのだが、これがきっかけになって、海外でも割高だが、高品質の日本製品が売れるようになれば、企業も新たな活路を見出せるのかもしれない。
 
 インセンティブをあたえて、人間の行動を促す方法と環境破壊行為などに対して、罰金をとるなどあめとむちを使いわけることも必要だろう。温暖化の原因となるCO2を一定以上排出した企業から環境税をとるなど・・。
 もちろんこれにも賛否があって、企業の生産意欲を阻害するなど産業界の反発はある。立場が変われば見方も変わるので利害関係が衝突するが、坂本龍馬のように、日本いや世界の利益のために行動してもらいたい。
(地球温暖化対策に関しては、世界で合意をとって進めていかないと意味がないが・・)これが、合成の誤謬といわれるもので、中国は、経済発展しているので、先進国と同じような規制には反対だとか、核の問題でも、すでに所有している国は既得権益を手離したくないので、核のない世界が実現しない。
 「総論賛成、各論反対」ということは我々の身近なところで起こっている。
 ごみ処理場をどこかに作らなければ、ごみ処理できないので市内に建設することは賛成だが、自分の家のそばに立てるのであれば絶対反対など・・。
 
 山頂のように輸送コストが高くつくことはない観光地で、同じジュースが高かったり、銀座では、コーヒー一杯1000円したり(失礼かもしれないが、味はインスタントコーヒーとあまりかわらなかったりする場合が多い)とするが、それでも商売が成り立っている。これは、マスコミや雑誌などでその場所は物価が高いと思い込まされている節もある。もちろんそういう雰囲気に浸ってれるのでそこに価値があると思ていいれば、その人にとっては1000円でも高くはないのだが。
 コーヒーのチェーン店では、銀座も新宿も同じ商品は同じ値段で経営している・・。
 
 商品の値札で○98円などの値札があふれている。100円と98円では2円しか違わないのだが、消費者は、三桁より2桁のほうがすごく安く感じるようだ。
 これは、きりのいい数字よりやすいと判断しているという分析がある。
 通常価格が書いてあって×して○円となっているものなど、スーパーや家電量販店などでよく見かける。
 通常価格からこんなに安いんですよとアピールしているのだが、よく考えると今はオープン価格がほとんどなので、店が勝手に決められるので通常価格はあってないようなもの。これも消費者の心理をうまく付いた戦略。
 
 いくつか消費者の心理が行動に影響を与えている事例を挙げてみたが、売り手からすれば、うまくバイアスをかけて、合理的な行動を妨げているともいえる。
 
 経済政策も、うまく企業、投資家、消費者の心理を利用して、この円高不況から抜け出す方法はないのだろうか・・。
 
 
(参考)
行動経済学とは、心理学と経済学の融合を試みた経済学の一分野。 標準的な経済学では、「人間は合理的である」と想定してきた。だが、現実の人間は、意思決定の参考となる情報を無視することが多い。
現実の人間は「思考を節約」し、「自己の行動を正当化(合理化)」する存在である。行動経済学は、このような生身の人間のもっている「非合理性」を明示的に考慮して、そのような人間の立場から個人の行動や社会現象を観察・分析しようという視点をもった経済学である。 行動経済学は、ダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman 2002年ノーベル経済学賞受賞)と、故エイモス・トヴァスキー(Amos Tversky)の2人の心理学者による研究が出発点とされている。